相良頼真
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛文11年6月9日(1671年7月15日)[1] |
死没 | 貞享5年5月25日(1688年6月22日) |
戒名 | 寂浄院殿覚明玄真 |
官位 | 従五位下、宮内少輔 |
藩 | 肥後人吉藩世嗣 |
氏族 | 相良氏 |
父母 | 相良頼喬、鷲尾隆量娘・月仙院 |
兄弟 | 頼泰、頼真、式部、女子、万吉、又四郎 |
相良 頼真(さがら よりざね)は、江戸時代前期の肥後国人吉藩の世嗣。官位は従五位下・宮内少輔。
略歴
[編集]3代藩主・相良頼喬の次男として誕生した。母は鷲尾隆量の娘・月仙院。
兄で嫡男だった頼泰が延宝5年(1677年)に早世したため、代わって嫡男となる。延宝6年(1678年)、4代将軍・徳川家綱に拝謁する。延宝8年(1680年)10月26日、徳川綱吉に拝謁する。
貞享3年(1686年)12月に従五位下、宮内少輔に叙任されるが、貞享5年(1688年)に家督を相続することなく18歳で早世した。
代わって、父の従弟にあたる頼福が養子に迎えられ跡を継いだ。
脚注
[編集]- ^ 『人吉市史』第1巻(人吉市、1981年)p.931
参考文献
[編集]- 堀田正敦 編「国立国会図書館デジタルコレクション 相良氏」『寛政重修諸家譜』 。