眞鶴政吉
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眞鶴 政吉(まなづる まさきち、生年不明 - 1897年(明治30年)6月29日)は伯耆国日野郡溝口(現・鳥取県西伯郡伯耆町)出身の元大相撲力士。本名は木島長五郎。大阪相撲で活躍し最高位は大関。
略歴
[編集]5代もしくは6代朝日山に入門、四ツ車 久吉を名乗り1861年(文久2年)6月が番付初見。1869年(明治2年)3月入幕、1870年(明治3年)3月小結に昇進し、初日から眞鶴 政吉と改めた。1871年(明治4年)6月関脇、1872年(明治5年)7月大関に進んだ。大関は5場所努めて1876年(明治9年)6月限りで引退、9代朝日山を襲名し多数の弟子を養成した。1885年(明治18年)10月限りで廃業、1897年(明治30年)6月29日没。
参考文献
[編集]- 「大相撲人物大事典」、2001年 ISBN 9784583036403