真岡市立真岡小学校
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真岡市立真岡小学校 | |
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北緯36度26分37.2秒 東経140度00分26.2秒 / 北緯36.443667度 東経140.007278度座標: 北緯36度26分37.2秒 東経140度00分26.2秒 / 北緯36.443667度 東経140.007278度 | |
過去の名称 |
登高舎 真岡学校 真岡尋常高等小学校 真岡国民学校 真岡町立真岡小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 真岡市 |
設立年月日 | 1874年5月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B109210001670 |
所在地 | 〒321-4306 |
栃木県真岡市台町4184 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
真岡市立真岡小学校(もおかしりつ もおかしょうがっこう)は、栃木県真岡市台町にある公立の小学校である。
概要
[編集]真岡城址の大部分が校地である。三ノ丸跡と二ノ丸跡に校舎やプール、体育館が建てられ、本丸跡は校庭となっている[1]。
日本国外にルーツを持つ児童が在籍しており、2022年(令和4年)度は約70人通学していた[2]。保護者向けの「お便り」の翻訳は教師の大きな負担になっていたが、同年度より凸版印刷のメール多言語翻訳システム「E-Tra(イートラ)ノート」を導入し、負担軽減を図っている[2]。
校歌
[編集]- 作詞:泉漾太郎
- 作曲:平岡均之
沿革
[編集]- 出典[3]
- 1874年(明治6年)5月 - 登高学舎として、長蓮寺に開校
- 1886年(明治18年)4月 - 真岡学校に改称
- 1888年(明治20年)4月 - 真岡尋常小学校に改称
- 1896年(明治29年)9月 - 現在地に校舎新築移転
- 1938年(昭和13年)5月 - 久保氏の寄贈を受けて久保講堂新築
- 1941年(昭和16年)4月 - 真岡国民学校に改称
- 1947年(昭和22年)
- 1954年(昭和29年)10月 - 市制施行により真岡市立真岡小学校に改称
- 1976年(昭和51年)4月 - 真岡市立真岡西小学校新設により学区分離
- 1979年(昭和54年)4月 - 体育館竣工
- 1980年(昭和50年)4月 - 真岡市立真岡東小学校新設により学区分離
- 1986年(昭和61年)2月 - 久保講堂を田町へ移築
- 2019年(平成31年)3月29日 - プロゴルファーの石川遼からカシオ計算機の電子辞書44台が贈られる[5]
- 2023年(令和5年)7月11日 - 作業小屋の一部を焼損[6]
通学区域と進学先中学校
[編集]- 出典[7]
- 真岡市では住所により学区を決定しており、番地によって通学先小学校・中学校が異なる場合もあるので、入居予定者は学校教育課まで要確認としている。
- 学区
- 荒町二丁目
- 荒町三丁目の一部
- 大谷新町
- 熊倉一丁目
- 熊倉町の一部
- 下大和田の一部
- 台町
- 田町の一部
- 寺久保一丁目
- 並木一丁目 - 四丁目
- 白布ケ丘
- 進学先
- 進学先中学校は、真岡市立真岡中学校または真岡市立東中学校となる。
交通アクセス
[編集]出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 栗村芳實/東敏雄編集「北関東川紀行2 鬼怒川・小貝川・渡良瀬川」随想舎 2009年6月 P103
- ^ a b 片田貴也 (2022年7月8日). “お便りの翻訳だけで6時間 外国人家庭への連絡、悩む学校を救うのは”. 朝日新聞. 2023年7月16日閲覧。
- ^ 沿革 真岡市立真岡小学校
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、97頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ カシオワールドオープン大会事務局 (2019年3月29日). “プロゴルファー石川遼選手、獲得バーディ数の電子辞書寄贈に取組 3/29は栃木県真岡小学校と久下田小学校に寄贈”. @Press. ソーシャルワイヤー. 2023年7月16日閲覧。
- ^ “真岡小の作業小屋焼ける”. CRT栃木放送. 2023年7月16日閲覧。
- ^ 通学区域別小学校・中学校一覧 真岡市
- ^ “石坂真一選手”. 選手・スタッフ一覧. 栃木社会人硬式野球クラブ[コットンウェイ]真岡. 2023年7月16日閲覧。
- ^ “東海大相模高校3年石田隼都投手(真岡中・真岡ボーイズ出身)”. 真岡新聞. 2023年7月16日閲覧。