睦進恭
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睦進恭 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 목진공 |
漢字: | 睦進恭 |
発音: | モク チンゴン |
日本語読み: | ぼく しんきょう |
MR式: 2000年式: |
Mok Chin'gong Mok Jin'gong |
睦 進恭(ぼく しんきょう、목진공; モク チンゴン、? - 1426年)は、 朝鮮の文臣である。本貫は泗川である。
生涯
[編集]太宗朝で、大護軍、義興府鎮撫、判典祀寺事、右副代言などを歴任し(1409年 - 1417年)[1]、1417年(太宗17年)、京畿道観察使となって、表裏[注釈 1]を下賜された[3]。
1421年(世宗3年)、江原道都観察使を務め[4]、1422年、戸曹参判に昇って[5]から、1426年、卒すると、世宗が香典を遣わせた[6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “인물정보 : "목진공(睦進恭)"” [人物情報 : "睦進恭"] (朝鮮語). 朝鮮王朝実録. 国史編纂委員会. 2019年9月12日閲覧。
- ^ 小学館・金星出版社 編『朝鮮語辞典』(初版第16刷)小学館、2005年。ISBN 4095157011。
- ^ “태종실록 34권, 태종 17년 10월 1일 계미 1번째기사” [太宗実録34巻、太宗17年10月1日癸未1番目記事] (朝鮮語). 朝鮮王朝実録. 国史編纂委員会. 2019年9月8日閲覧。
- ^ “세종실록 11권, 세종 3년 2월 27일 경신 1번째기사” [世宗実録11巻、世宗3年2月27日庚申1番目記事] (朝鮮語). 朝鮮王朝実録. 国史編纂委員会. 2019年9月8日閲覧。
- ^ “세종실록 15권, 세종 4년 2월 16일 계묘 2번째기사” [世宗実録15巻、世宗4年2月16日癸卯2番目記事] (朝鮮語). 朝鮮王朝実録. 国史編纂委員会. 2019年9月8日閲覧。
- ^ “세종실록 31권, 세종 8년 2월 27일 신묘 4번째기사” [世宗実録31巻、世宗8年2月27日辛卯4番目記事] (朝鮮語). 朝鮮王朝実録. 国史編纂委員会. 2019年9月8日閲覧。