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矢吹省三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢吹省三
やぶき しょうぞう
やぶき せいぞう
生年月日 1883年7月23日
出生地 日本の旗 日本 東京府
没年月日 (1950-12-27) 1950年12月27日(67歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学政治学科卒業
前職 実業家
所属政党 公正会
称号 正五位
配偶者 矢吹三千子
矢吹ヒサ
矢吹清子
親族 義父・川淵龍起(広島市長)

在任期間 1918年7月10日 - 1946年6月19日
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矢吹 省三(やぶき しょうぞう[1][2] / せいぞう[3]1883年明治16年)7月23日 - 1950年昭和25年)12月27日[1][3])は、明治末から昭和前期の実業家政治家華族貴族院男爵議員

経歴

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東京府出身[3]。旧幕臣陸軍中将矢吹秀一の三男として生まれる[1]旧制第一高等学校を経て、1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[3][4]。父の死去に伴い1910年(明治43年)1月19日、男爵を襲爵[5]

横浜正金銀行書記、富士生命保険 (株) 取締役、東京タクシー自動車 (株) 取締役、東京貿易 (株) 社長などを務めた[3]

1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6]公正会に属して活動した[3]加藤高明内閣第2次若槻内閣外務政務次官濱口内閣海軍政務次官、濱口内閣大蔵政務次官、預金部資金運用委員会委員、議員制度調査会委員、議員制度審議会委員、鉄道会議臨時議員などを歴任[3]1946年(昭和21年)6月19日に貴族院議員を辞職した[7]。その後、公職追放となった[8]

栄典

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家族

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脚注

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  1. ^ a b c 『日本人名大辞典』1950頁。
  2. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、763頁。
  3. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』87頁。
  4. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』641頁。
  5. ^ 『官報』第7970号、明治43年1月20日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。
  7. ^ 『官報』第5838号、昭和21年7月2日。
  8. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿722頁。公職追放の該当事項は「海軍政務次官」。
  9. ^ 『官報』第731号「叙任及辞令」1915年1月12日。
  10. ^ a b 矢吹省三『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  11. ^ a b 『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929、p674
  12. ^ a b 『人事興信録. 第13版(昭和16年) 下』矢吹省三

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。


日本の爵位
先代
矢吹秀一
男爵
矢吹(秀一)家第2代
1910年 - 1947年
次代
華族制度廃止