矢部吉禎
生誕 |
1876年3月3日 日本東京府 |
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死没 |
1931年8月23日(55歳没) 日本東京市 |
居住 | 日本 |
国籍 | 日本 |
研究機関 |
東京帝國大學理科大學 清國 京師大學堂 東京女子高等師範學校 東京文理科大學 上海自然科学研究所 |
命名者名略表記 (植物学) | Y.Yabe |
プロジェクト:人物伝 |
矢部 吉禎(やべ よしただ、1876年3月3日 - 1931年8月23日)は、日本の植物学者。理学博士。位階および勲等は正四位・勲三等。東京生まれ。
人物
[編集]植物学者。中国大陸の高等植物の研究にあたる。理學博士。
地球科学者・矢部長克の兄[1]。 妻敬子は貴族院議員・男爵中御門経隆の三女[2]。
略歴
[編集]- 1897年 7月 第一高等学校卒業[3]。10月 東京帝国大学理科大学(現東京大学理学部) 動植物学科入学[4]。
- 1900年 7月 東京帝国大学理科大学植物学科卒業[5][6]。8月 東京帝国大学理科大学助手[7]。
- 1904年 8月 東京帝国大学理科大学助教授[8]。清國京師大學堂師範館(現北京大学)敎習。[9]。
- 1909年 2月 任期満了につき帰朝、廃官。
- 1910年 5月 東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)講師
- 1911年 3月 東京女子高等師範学校教授[10]。
- 1916年 8月 理学博士(東京帝国大学より)[11]。
- 1929年 4月 東京文理科大学(現筑波大学)教授(兼)東京高等師範学校教授[12]。
- 1931年 8月 没。墓所は染井霊園。
栄典
[編集]位階
[編集]- 1908年 5月 - 従七位 : 官報(明治 7477号)
- 1911年 5月 - 正七位 : 官報(明治 8372号)
- 1913年 8月 - 従六位 : 官報(大正 311号)
- 1916年 2月 - 正六位 : 官報(大正 1058号)
- 1919年 1月 - 従五位 : 官報(大正 1947号)
- 1924年 3月 - 正五位 : 官報(大正 3501号)
- 1929年 8月 - 従四位 : 官報(昭和 860号)
- 1931年 8月 - 正四位 : 官報(昭和 1402号)
勲章等
[編集]- 1909年 10月 - 清國 三等第一双龍宝星 : 官報(明治 7898号)
- 1915年 11月 - 大礼記念章(大正) : 官報(大正 1332号)
- 1921年 4月 - 勲六等瑞宝章 : 官報(大正 2614号)
- 1924年 6月 - 勲五等瑞宝章 : 官報(大正 3560号)
- 1926年 6月 - 勲四等瑞宝章 : 官報(大正 4152号)
- 1928年 11月 - 大礼記念章(昭和) [官報(昭和 989号)(昭和5年4月19日) 附録:辞令 p.6]
- 1931年 7月 - 勲三等瑞宝章 : 官報(昭和 1361号)
主な著作物
[編集]- Y. Yabe (1900). “Catalogus plantarum ad stationem zoologicam Misakensem sponte crescentium”. The Botanical Magazine 14 (158): e42-e43. doi:10.15281/jplantres1887.14.158_42.
- Y. Yabe (1902). “Revisio Umbelliferarum Japonicarum”. The journal of the College of Science, Imperial University of Tokyo, Japan (東京帝國大學紀要 理科) 16: 1-108. doi:10.15083/00037934. NAID 120001852474. NCID BA36794872. hdl:2261/32725.NCID BA36794872
- Y. Yabe (1903). “Enumeratio Plantarum Alpinarum in Monte Shirouma (Prov. Shinano) collectarum”. The Botanical Magazine 17 (192): e15-e27. doi:10.15281/jplantres1887.17.192_15b.
- Yoshitada Yabe (1903). “Filices Koreæ”. The Botanical Magazine 17 (194): e63-e69. doi:10.15281/jplantres1887.17.194_63. NAID 130004076177.
- Y. Yabe (1912). An enumeration of plants hitherto known from South Manchuria (南滿洲植物目録). 南滿洲鐡道株式會社中央試驗所. NCID BA36522817. NDLJP:946865
- Y. Yabe (1914). Icones florae Manchuricae (滿洲植物圖説). 1. 南滿洲鐡道株式會社. NCID BA36345562. NDLJP:1014925
- Yoshitada Yabe (1915). “On Some New or Little Known Plants from Northern China (北支那産新植物)”. The Botanical Magazine 29 (346): e238-e241. doi:10.15281/jplantres1887.29.346_238.
- 矢部吉禎 (1917). 東蒙古ニ於ケル牧草及雜草 ; 東蒙古植物目録. 産業資料. 南滿洲鐡道株式會社地方部地方課. NCID BN14380448
- Y. Yabe (1919). A preliminary report on the flora of Tsing-tau-region (青島植物豫察調査報告). 産業資料. 南滿洲鐡道株式會社地方部勧業課. NCID BA4973610X. NDLJP:944509
- 矢部吉禎 (1927). “八重黄花しやくなげニ就テ”. 植物學雜誌 41 (483): 271-273 + pl. VIII-IX. doi:10.15281/jplantres1887.41.271. NAID 130004211093.
- Y. Yabe (1932). “On the sexual Reproduction of Prasiola japonica YATABE”. 東京文理科大學 紀要, 理科, Sec. B. 1 (3): 1-4 + pl..
- 矢部吉禎『支那植物叢話』西ヶ原刊行會〈博物學叢書〉、1941年。 NCID BN16010880。NDLJP:1683819。
人物像を記したもの
[編集]矢部の没後に、追悼記事として記されたものは [13], [14], [15], [16], [17] がある。また、後年 [18] の中に 小林義雄 (菌類学者) が [19] を記した。 この [19] は、加筆修正されて [20] に収録された。さらにそれが(一部修正されて)[21] に収められた。この際に、誤った「よみがな」が振られた為に、それが世間に広まった。詳細は、別項に記す。 [22] の矢部吉禎の項の記述は、この [20] をベースに記述されている。
名前の表記、「よみがな」, ローマ字表記, 生年 の誤記について
[編集]「禎」の字体について
[編集]「禎」は、旧字体 (示 貞)で印刷・出版されているものが多いが、本人の書残したものでも「禎」の字体で記載しているものがある。
Y.Yabe
[編集]Y.Yabe と略記が多用された理由は、同時期に同じ東京帝國大學 理科大學地質學科に在籍した、実弟 矢部長克 (やべ ひさかつ, YABE Hisakatsu, H.Yabe) と区別するためである[23]。 Y.Yabe も H.Yabe も IPNI に登録済の名前である。 明治末期から昭和初期にかけて、二人とも揃って博物の植物・地質の第一線で研究に当たったので、当時は「植物の矢部」は吉禎を 「地質の矢部」は長克を指すのが、学者の間の暗黙であった。
大井次三郎「日本植物誌」の中の誤記
[編集]1) p.20 l.23 誤 : 矢部吉禎(1866~1931) 正 : 矢部吉禎(1876~1931) 2) p.1267 右段 l.21 誤 : Yoshitaka 正 : Yoshitada
この誤りが訂正されぬまま 英語に翻訳された [25]も 出版されたため、海外の文献で Yoshitaka の誤表記が目立つ。日本でもこれを参照したと思われる誤記は[26]の文中などにある。
後年 北村四郎 が [27] で 2) の誤りを指摘しているが 1) については指摘出来ていない。
木村陽二郎の誤記
[編集]木村陽二郎 は [28] の中の「第2章 日本における自然史研究 第3節 明治大正時代の植物学」(pp.638-646) を執筆しているが、この中で矢部の名前に「よしさだ」の誤ったよみがなを振っている。また、同書の p.645 l.33 では矢部の生年を 1866年と誤記している。これらから想像するに、木村は [24] を参照したが、名前の Yoshitaka は誤記だと把握していたが、正しい読みを確認することなく「よしさだ」と記したと思われる。
その後、この木村の記述は [29]に転載され、さらに [21]に転載されて(さらに悪いことに、原文にふりがなの振られていなかった小林の記述部分にも誤ったふりがなが振られたために)誤った読みが広まることになった。(誰か この誤りに気付いた人が居たらしく p.27 l.32 だけ、正しいふりがなが振られている)
専門家ですら、個々の論文執筆者の原典を確認することを怠り、この過ちを繰り返している。例えば 大場秀章 は [22] の中の矢部吉禎の項で誤った読みを採用している。
脚注
[編集]- ^ 小林ほか 1970, pp. 9–33.
- ^ 現代華族譜要
- ^ 官報(明治 4205号)
- ^ 官報(明治 4292号)
- ^ 東京帝國大學 一覧 (明治33-34年)
- ^ 官報(明治 5106号)
- ^ 職員録 明治34年 (甲)
- ^ 官報(明治 6331号)
- ^ 東京帝国大学理科大学助教授矢部吉禎外一名清国政府ノ招聘ニ応シタルノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
- ^ 官報(明治 8325号)
- ^ 官報(大正 1241号)
- ^ 官報(昭和 675号)
- ^ 松原 1931.
- ^ 保井 1931.
- ^ 安部 1931.
- ^ 三好 1931.
- ^ 牧野 1931.
- ^ 矢部 1941.
- ^ a b 小林 1941.
- ^ a b 小林 1972.
- ^ a b 木原ほか 1988.
- ^ a b 大場 2007.
- ^ 東京帝大 1913.
- ^ a b 大井 1953.
- ^ 大井 1963.
- ^ 大槻ほか 1982.
- ^ 北村 1989.
- ^ 科博 1977.
- ^ 木村 1987.
参考文献
[編集]- 東京帝國大學理學部「東京帝國大學理科大學 紀要索引, Vol.1-25. 1887-1908.」『The journal of the College of Science, Imperial University of Tokyo, Japan (東京帝國大學紀要 理科)』1913年、doi:10.15083/00037768、hdl:2261/32962。
- 松原益太「矢部先生御永眠の前後」『博物学雑誌』第29巻第44号、東京博物學會、1931年、1-5頁、NCID AN00204529。NCID AN00204529
- 保井コノ「故矢部吉禎教授を悼む」『櫻蔭會々報』第144号、櫻蔭會、1931年11月30日、11-12頁、NCID AA11360502。NCID AA11360502
- 安部世意治「矢部先生を悼ふ」『櫻蔭會々報』第144号、櫻蔭會、1931年11月30日、12頁、NCID AA11360502。NCID AA11360502
- 三好学「理学博士矢部吉禎氏を悼む」『史蹟名勝天然記念物』第6巻第10号、史蹟名勝天然記念物保存協會、1931年、849頁。NCID AN00373934
- 牧野富太郎「日本植物学者肖像―故、理学博士矢部吉禎君」『植物研究雑誌』第7巻第10号、植物研究雑誌社、1931年12月、doi:10.51033/jjapbot.7_10_1021、NDLJP:3347710。
- 小倉謙 (植物学者) (編) 編『東京帝國大學理學部植物學教室沿革 : 附理學部附属植物園沿革』東京帝國大學理學部植物學教室、1940年。 NCID BN12833053。NDLJP:1115186。
- 小林義雄 (菌類学者) (1941). “矢部博士と支那植物”. 支那植物叢話: 43-50.
- 大井次三郎『日本植物誌』至文堂、1953年。 NCID BN03887018。
- 東京文理科大学 編『東京文理科大学閉学記念誌』東京文理科大学、1955年。 NCID BN09022212。NDLJP:9542819。
- Jisaburo Ohwi (大井次三郎) (1965). Frederick G. Meyer and Egbert H. Walke. ed. Flora of Japan. Smithsonian Institution. NCID BA18453155
- 小林貞一, 鹿間時夫 (編) 編『日本古生物学の回想』日本古生物学会、1970年。 NCID BN02620001。NDLJP:9668900。
- 小林義雄 (菌類学者)『分裂子』北隆館、1972年。 NCID BA43736311。
- 国立科学博物館 (編) 編『国立科学博物館百年史』国立科学博物館、1977年。 NCID BN07367734。
- 大槻虎雄、津山尚、柳田為正、今井百合江子、津守真「お茶の水女子大学の植物をめぐって」『幼児の教育』第81巻第10号、日本幼稚園協会、1982年10月1日、6-19頁、hdl:10083/43328、NAID 120001932644。
- 木村陽二郎『生物学史論集』八坂書房、1987年。 NCID BN01154774。
- 木原均, 篠遠喜人, 磯野直秀(監修) 編『近代日本生物学者小伝』平河出版社、1988年。 NCID BN03084716。
- 北村四郎「故植物分類学者の生没年について」『植物分類,地理』第40巻第5-6号、1989年、doi:10.18942/bunruichiri.KJ00001078638、NAID 110003760379。
- 大場秀章 (編) 編『植物文化人物事典』日外アソシエーツ、2007年。 NCID BA81715134。