石井忠易
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時代 | 戦国時代-江戸時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 慶長4年9月14日(1599年) |
別名 | 三右衛門 、孫七郎 |
戒名 | 日法 |
墓所 | 佐賀県佐賀市 常照院 |
主君 | 龍造寺隆信-政家→鍋島直茂-勝茂 |
氏族 | 肥前石井氏(藤原氏) |
父母 |
父:石井忠時、母:石井忠次の娘 養父:石井信易 |
兄弟 | 重次、忠易 |
妻 | 正室:石井信易の娘 |
子 | 常諦、勝右衛門、弥三右衛門 |
石井 忠易(いしい ただやす)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。肥前国の戦国大名龍造寺氏および佐賀藩主鍋島氏の家臣。
龍造寺隆信の家老石井忠時の次男として誕生。母は石井忠次の娘。
天正12年(1584年)3月24日、沖田畷の戦いで、本家の当主石井信易が戦死したため、信易の娘を妻に迎え、その跡を継いだ。
龍造寺氏・鍋島氏が豊臣秀吉に臣従すると、鍋島直茂の近親者として、鍋島茂里や鍋島茂賢と共に人質として、小早川隆景のもとに送られ、秀吉による九州征伐まで人質生活を送った。