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石原近義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石原 近義(いしはら ちかよし、天保2年12月1832年1月)[1] - 没年未詳)は、江戸時代末期から明治時代初期の薩摩藩の下級武士。妻は大久保利世の4女で、大久保利通の妹・ミネ。

幕末に義兄の大久保利通とともに上京し、明治維新後は警視庁の創設に関わる。のちの中警視。大久保が公共事業に私財を投じ、国の借金を個人で埋めていたため、近義とミネに借金をしていた。

子女

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  • 長男・石原助熊 - フランス、パリに留学し、「最新果樹栽培法」[2]を記し、ヨーロッパの果樹栽培の技術を日本に紹介した。
  • 次男・彌助 - 陸軍中佐、田中工業社長[3]
  • 長女・ゑい - 矢野二郎の妻
  • 次女・イチ - 前田正名の妻
  • 三女・貞子 - 農学者の本田幸介の妻

栄典

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脚注

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  1. ^ 『人事興信録 6版』(人事興信所、1921年)い162頁
  2. ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954430
  3. ^ 『大衆人事録 第3版』(帝国秘密探偵社、1930年)136頁
  4. ^ 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日
  5. ^ 『官報』第1935号「叙任及辞令」1889年12月9日