石名坂館
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石名坂館 (青森県) | |
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城跡とされる石名坂の稲荷神社 | |
城郭構造 | 単郭式平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 佐藤基春 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 石名坂氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯40度37分36.5秒 東経140度37分44.6秒 / 北緯40.626806度 東経140.629056度座標: 北緯40度37分36.5秒 東経140度37分44.6秒 / 北緯40.626806度 東経140.629056度 |
地図 |
石名坂館(いしなざかだて)は、青森県黒石市石名坂字舘にあった日本の城(山城)。
概要
[編集]主郭のみの単郭、もしくは主郭・外郭からなる館であったと思われる。主郭は250メートル×150メートルの方形状で、縄文時代の遺跡でもあり、現在は宅地となっている。南は浅瀬石川、北側は豊岡川を天然の堀とした、比高30メートルほどの所にある。
歴史
[編集]文治5年(1189年)6月、奥州藤原氏家臣佐藤基春[1]が主家の滅亡に伴い、当地に逃れ、かつての所領[2]から「石名坂」と名付けたという。
戦国時代には、石名坂氏[3]として、浅瀬石城主千徳氏に仕えている。南北朝時代に、千徳政晴の息子久清が石名坂左近の養子となっているので、その頃からすでに配下であったとも考えられる。天正13年(1585年)、宇杭野合戦で館主近江守正長が討ち死にし、その後廃城となったものと思われる。
脚注
[編集]- ^ 現地の1953年(昭和28年)建立の石碑「石名坂稲荷神社沿革」には佐藤庄司基治とあり、『浅瀬石川郷土誌』には佐藤元春とある。また『黒石市史-通史編Ⅰ-』(p.6)には、「石名坂の旧家、佐藤家の伝承によると、佐藤氏は義経の忠臣佐藤兄弟の流れを汲むといい、鎮守の稲荷宮は平泉七社の一つであったという。」とある。
- ^ 現地の石碑「石名坂稲荷神社沿革」には岩手県西磐井郡弥栄村字石名坂(現一関市)とある。また、石原洋三郎による 石那坂 (現福島市)とする説などもある(石原 2017)。尚、石那坂について、石原洋三郎は、信夫佐藤氏の本拠地であった福島市の飯坂を比定している。
- ^ 『角川日本地名大辞典 2 青森県』「石名坂」(p.119)に、「『浅瀬石川郷土誌』では、奥州藤原氏旧臣佐藤元春の孫が石名坂氏を名のったとする。」とある。