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石川 真主(いしかわ の まぬし、生没年不詳)は、平安時代初期の官人。官位は正六位上・内竪。
仁明朝において東大寺俗別当兼内竪を務め、承和5年(838年)8月に東大寺の毘沙門天王像修理の記文に署名している記録がある[1]。同年9月に東大寺地調査の寺使として諸国に派遣されることとなり、承和7年(840年)に阿波国名方郡新島荘[2]、承和9年(842年)には因幡国高草郡高庭荘の寺田調査の結果を報告している(この時の位階は正六位上)[3]。
- ^ 『東南院文書』2-3
- ^ 『東南院文書』3-22
- ^ 『東南院文書』3-27