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石川長祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石川 長祐
時代 室町時代
別名 勘解由左衛門尉
主君 一色義範
氏族 丹後石川氏
父母 石川長貞
佐渡入道道悟
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石川 長祐(いしかわ ながすけ)は、室町時代武将。姓は石河とも記される。丹後一色氏の家臣。若狭国今富名代官[1]

概要

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応永6年(1399年)6月に、若狭国今富名代官であった小笠原長春丹後守護一色詮範一色満範との抗争に敗れ、与謝郡石川城で自害させられると、父・石川長貞が長春に代わって今富名の代官に任じられた[1]

代官職は応永20年(1413年)1月に長祐へと譲られたものの、翌年2月には三方範忠へと代官職を譲った[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c 河村昭一『南北朝・室町期一色氏の権力構造』(戎光祥出版、2016年)

参考文献

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  • 河村昭一『南北朝・室町期一色氏の権力構造』(戎光祥出版、2016年)