五島茂
五島茂 | |
誕生 |
石榑 茂 1900年12月5日 日本・東京市京橋区 |
死没 |
2003年12月19日(103歳没) 日本・東京都 |
墓地 | 染井霊園 |
職業 | 歌人、経済史学者 |
国籍 | 日本 |
ジャンル | 短歌、経済史 |
主な受賞歴 |
勲三等瑞宝章(1974年) 現代短歌大賞(1981年) |
所属 | 立春短歌会 |
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五島 茂(ごとう しげる、1900年12月5日 - 2003年12月19日[1])は、日本の歌人、経済史学者。東京外国語大学教授、明治大学教授、亜細亜大学教授を歴任。立春短歌会を妻の美代子と主宰。
経歴
[編集]歌人・石榑千亦の三男として東京府東京市京橋区に生まれる[2]。1907年区立常盤小学校に入学し、この頃から父の手ほどきで歌を作り始め、自宅が発行所であった『心の花』に発表する[2]。1918年東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)を卒業し、第八高等学校に入学、名古屋に移る[2]。島木赤彦に師事し、アララギ会員となる[2]。小杉茂の名前で短歌を発表[2]。1921年東京帝国大学(現 東京大学)経済学部に入学[2]。1923年本位田祥男教授の元でロバート・オウエンを研究し始める[3]。1924年、歌人の木下利玄に会い、また東大聴講生であった五島美代子と出会う[3]。1925年に急篤の木下利玄から歌集の編集・刊行を託される[3]。この年に佐佐木信綱の媒酌で五島美代子と結婚し、五島姓となる[3]。
1928年2月から『短歌雑誌』に「短歌革命の進展」を8回に亘って連載し、マルクス主義的立場から当時の歌壇を批判した[4][5]。新しい短歌運動をめざし同年9月に前川佐美雄らと新興歌人連盟を結成するが、思想的な対立から12月に解散した[6][7]。1929年に歌誌『突端』を創刊、『石榑茂歌集』刊行、この年から大阪商科大学で教鞭をとる[6]。昭和初期の短歌革新運動の道筋を開いた五島茂であったが、『突端』は半年後に廃刊となり、短歌活動を断念する[8]。1931年から英国でオウエンを研究し、1933年にドイツ、フランス、スイス、イタリアを経由して帰国する[6]。1938年に再び短歌を志し、美代子と短歌雑誌『立春』を創刊、主宰する[9][10]。1940年、第二歌集『海図』を刊行する[9]。1943年大阪商大を辞職、綿スフ統制会に勤務(1947年まで)[11]。
1947年、専修大学教授となり、1948年には皇太子明仁の作歌指導を任ぜられる[11][12]。1949年、ロバート・オウエンの研究で経済学博士となる[11](論文タイトルは『ロバアト、オウエンの研究』[13])。1950年に長女が急逝[11]。1956年、現代歌人協会創立にあたって初代理事長となる[14]。東京外国語大学、明治大学の教授を歴任[15]。1968年9月より翌年1月までハワイ大学客員教授として短歌史を講義[16]。1971年明治大学を退職し、亜細亜大学経済学部教授となる[16]。1974年勲三等瑞宝章受章[17]。1978年美代子が没する[18]。
1981年、「展く」「遠き日の霧」「無明長夜」で第4回現代短歌大賞受賞[19][18]。1995年には宮中歌会始の召人も務めた。1998年に『立春』終刊号(562号)を刊行した[20]。
2003年に東京都港区の病院で死去。103歳の長寿を保った[1]。葬儀は町屋斎場で開かれ、葬儀委員長は思想史家の都築忠七が務めた。
家族
[編集]- 実父・石榑千亦(いしくれちまた、1869―1942) - 歌人。本名・辻五郎。愛媛県に生まれ、金刀比羅宮が1884年に開校した明道黌を卒業後、1893年に佐佐木信綱に師事、生涯信綱を補佐した。1889年設立時より大日本帝国水難救済会終生常任理事。[21][22]
- 母・しん[2]
- 長兄・石榑利寿 - NHK局員[23]
- 養父・五島清太郎 - 妻の父。
- 妻・五島美代子 - 歌人
- 長女・五島ひとみ- 大手前高等女学校、東京女子高等師範学校を経て、東京大学入学、戦後最初の女性東大生として『アサヒグラフ』の表紙を飾ったが、その後まもなく自死した[24][25]。
- 二女・加茂いずみ - 大蔵官僚・加茂文治の妻
経済学史関係著書
[編集]著作
[編集]- ロバアト・オウエン 三省堂 1934
- 学術論文の書き方 甲文堂書店 1934
- イギリス産業革命社会史研究 日本評論社 1949
- 経済史 三和書房 1951
- ロバアト・オウエン著作史 東洋書店 1974(大阪商科大学研究叢書)
翻訳
[編集]短歌関係著作
[編集]歌集・短歌論
[編集]- 石榑茂歌集 日本評論社 1929 NDL
- 現代人のための短歌の作り方(石榑茂)三省堂 1935(1949年増補改訂版)NDL
- 海図 歌集 甲鳥書林 1940 NDL
- 新しき短歌論 第一書房 1942 NDL
- 気象 歌集 白玉書房 1960 NDL
- 五島茂歌集・五島美代子歌集 五月書房 1976 NDL
- 展く 歌集 白玉書房 1979 NDL
- 遠き日の霧 歌集 白玉書房 1980 NDL
- 無明長夜 歌集 石川書房 1980 NDL
- 夢しげく 歌集 短歌新聞社 1982 NDL
- 木下利玄の秀歌 短歌新聞社 1986 NDL - 編「木下利玄全歌集」岩波文庫 NDL
- 持続 歌集 石川書房 1987 NDL
- 春ふくむ風 歌集 石川書房 1990(『定本五島茂全歌集』所収)
- 定本五島茂全歌集 石川書房 1990 NDL
- 最後のピエタ 歌集 短歌新聞社 1996 CiNii
編集
[編集]参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “五島茂氏が死去/歌壇の長老”. 四国新聞社 (2003年12月19日). 2021年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g 五島茂略年譜. 『定本五島茂全歌集』石川書房, 1990, p545
- ^ a b c d 五島茂略年譜, p546
- ^ 水野昌雄「五島茂:知識人としての理想主義」『昭和萬葉集 別巻』講談社, 1980, p62
- ^ 『昭和萬葉集 巻一』講談社, 1980, p310
- ^ a b c 五島茂略年譜, p547
- ^ 『昭和萬葉集 巻一』p310-312
- ^ 濱田美枝子, 岩田真治『祈り : 上皇后・美智子さまと歌人・五島美代子』藤原書店、2021年6月、271頁。ISBN 978-4-86578-307-0。
- ^ a b 五島茂略年譜, p548
- ^ 『祈り : 上皇后・美智子さまと歌人・五島美代子』藤原書店、278頁。
- ^ a b c d 五島茂略年譜, p549
- ^ 『祈り : 上皇后・美智子さまと歌人・五島美代子』藤原書店、2021年6月、208-213頁。
- ^ 国立国会図書館. “博士論文『ロバアト、オウエンの研究』”. 2023年4月7日閲覧。
- ^ 五島茂略年譜, p550
- ^ 五島茂略年譜, p551
- ^ a b 五島茂略年譜, p552
- ^ 五島茂略年譜, p553
- ^ a b 五島茂略年譜, p554
- ^ “一般社団法人 現代歌人協会 | 現代短歌大賞”. www.kajinkyokai.com. 2022年11月11日閲覧。
- ^ 『立春』562号 1998年12月
- ^ 石榑千亦(読み)いしくれちまたコトバンク
- ^ 『近代詩歌のふるさと: 西日本篇』至文堂, 1992 ・186ページ
- ^ 日本放送協会『放送五十年史』日本放送出版協会、1977年、21頁。 NCID BN02126388。全国書誌番号:77025437。
- ^ 『もえる日日 わたし自身の暦』佐々木静子、ミネルヴァ書房 1984年、p25
- ^ 濱田美枝子「五島美代子 昭和戦時下における〈母の歌〉:第二歌集『丘の上』をめぐって」『日本女子大学大学院文学研究科 紀要』第23巻、日本女子大学、2017年、41-58頁、ISSN 1341-2361。