石榑敬一
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石榑敬一 いしぐれ けいいち | |
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生年月日 | 1890年12月5日 |
出生地 | 日本 岐阜県岐阜市 |
没年月日 | 1968年11月1日(77歳没) |
出身校 | 岐阜県立農林学校卒業 |
前職 | 岐阜市主事 |
所属政党 |
(日本進歩党→) 無所属 |
選挙区 | 岐阜県第1区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1942年4月30日 - 1945年12月18日 |
第36代 岐阜県会副議長 | |
在任期間 | 1928年12月4日 - 1931年10月15日 |
三里村長 |
石榑 敬一(いしぐれ けいいち、1890年12月5日[1] - 1968年11月1日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]岐阜県岐阜市生まれ[3]。1908年岐阜県立農林学校卒[2]。陸軍に入り、中尉まで進む[2]。その後、岐阜市主事、三里村(現・岐阜市)村長[2]、岐阜県会議員、岐阜在郷軍人連合分会長[3]、岐阜市警防団長などを歴任する[2]。
1928年12月4日から1931年10月15日まで第36代岐阜県会副議長を務めた[4]。
1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では、岐阜1区(当時)から立候補する。翼協の非推薦ながら在郷軍人会をバックに当選を果たす[5]。衆議院議員は1期務めた[2][注釈 1]。
1955年岐阜市長選挙
[編集]戦後の1955年の岐阜市長選挙に立候補したが、自由党推薦の松尾吾策に敗れて落選した[6][7]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:77.52%(前回比: 13.42pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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松尾吾策 | 52 | 無所属 | 新 | 63,335票 | 57.6% | 自由推薦 |
東前豊 | 61 | 無所属 | 現 | 27,491票 | 25.0% | 民主推薦 |
石榑敬一 | 64 | 無所属 | 新 | 14,701票 | 13.4% | - |
伊藤正三 | 47 | 無所属 | 新 | 4,387票 | 4.0% | - |
1968年死去。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。