三里村 (岐阜県)
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みさとむら 三里村 | |
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廃止日 | 1935年6月15日 |
廃止理由 |
編入 三里村・鷺山村 → 岐阜市 |
現在の自治体 | 岐阜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 稲葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 3.52 km2. |
総人口 |
2,446人 (国勢調査[1]、1935年10月1日) |
隣接自治体 | 岐阜市、稲葉郡加納町、市橋村、鶉村、茜部村 |
三里村役場 | |
所在地 | 岐阜県稲葉郡三里村 |
座標 | 北緯35度24分10秒 東経136度44分38秒 / 北緯35.40264度 東経136.74375度座標: 北緯35度24分10秒 東経136度44分38秒 / 北緯35.40264度 東経136.74375度 |
ウィキプロジェクト |
三里村(みさとむら)はかつて岐阜県稲葉郡に存在した村である。
現在の岐阜市の中西部付近である。
岐阜市へ編入後、国道21号や岐阜垂井線、岐阜環状線、岐阜南濃線、岐阜羽島線などの主要道路走る交通の要所となっている。これらの主要道路沿いの店舗が多い他、岐阜県美術館や岐阜県図書館も設置されている。
歴史
[編集]江戸時代、村域は美濃国厚見郡に含まれ、清村、六条村、宇佐村が存在した。いずれも加納藩領であった[2]。
1989年(明治22年)の町村制施行により六条村、清村、宇佐村が発足した[3]。3ヶ村組合を設け、役場を六条村に置いた[3]。1897年(明治30年)4月の郡の再編に合わせて3村は合併し、稲葉郡三里村となった[3]。村名は3村が合併したことによる[4]。
岐阜市に近接し、1924年(大正13年)に設定された岐阜市の都市計画区域に組み入れられた[5]。翌1925年から岐阜市長を務めた松尾国松によれば、当時の三里村長の石榑喜一郎が岐阜市との合併を主張したという[6]。反対派は岐阜市長の松尾に対して荒田川に繋がる三尺幅の排水溝の拡幅を求めたが、松尾はこれを快諾して1935年(昭和10年)6月の合併に至った[6]。
行政区画の変遷
[編集]- 1897年(明治30年)4月1日 - 厚見郡、各務郡と方県郡の一部が合併し、稲葉郡が成立[7]。同日、六条村、清村、宇佐村が合併し、稲葉郡三里村となる。
- 1935年(昭和10年)6月15日 - 岐阜市に編入される[8]。
村長
[編集]学校
[編集]- 三里尋常高等小学校(現・岐阜市立三里小学校)
寺社
[編集]- 六條神社
- 旦ノ越神社
脚注
[編集]- ^ 記念誌編集委員会 1986, p. 26.
- ^ 稲葉郡教育会 1915, p. 26.
- ^ a b c 記念誌編集委員会 1986, p. 21.
- ^ 稲葉郡教育会 1915, p. 11.
- ^ 岐阜市 1981, p. 472.
- ^ a b 松尾国松 1957, pp. 127–128.
- ^ 「法律第八十六號 岐阜縣下郡廢置及郡界變更」『官報』第3839号、内閣官報局、300–301頁、1896年4月20日 。
- ^ 岐阜市 1981, p. 477.
参考文献
[編集]- 稲葉郡教育会 編『美濃国稲葉郡志』稲葉郡教育会、1915年11月5日。NDLJP:950922。
- 松尾国松『八十年の回顧』中部日本新聞社、1957年11月1日。NDLJP:2973282。
- 岐阜市 編『岐阜市史』 通史編 近代、岐阜市、1981年3月31日。NDLJP:9570456。
- 記念誌編集委員会 編『ふるさと三里』三里広報連合会、1986年3月16日。NDLJP:9540243。