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各務郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岐阜県各務郡の位置

各務郡(かかみぐん)は、岐阜県美濃国)にあった

郡域

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1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。

  • 岐阜市の一部(長良川以東かつ岩田坂・岩田西以東)
  • 各務原市の大部分(川島各町・成清町・神置町・下中屋町・大佐野町・上中屋町・松本町を除く)

歴史

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古代

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大宝2年(702年)の御野国戸籍に「各牟郡」とある。郡司少領各牟勝小牧と主帳勝牧夫の名が見える。

続日本後紀」は「各務郡」と書き、「和名抄」は「加々美」と訓注している。

貞観8年7月(866年)、各牟氏は、国司の意に反して尾張側の広野川掘開工事の現場を農民約700人を率いて襲撃した(広野川事件)。

郡家は、各務氏の本貫地、各務郷に所在したと見られる。

東海道美濃国八駅の一つに、各務駅が見える。[1]

中世

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承久の乱のとき、当郡内の前渡(各務原市)で幕府軍と官軍との激戦が繰り広げられ、官軍は大敗した。

郡内には芥見荘、鵜沼荘、弓削田荘、蘇原荘などの荘園があった。

嘉元4年(1306年6月付、『昭慶門院御領目録』に見える陶器所という所領には、室町時代に入り守護土岐氏の一族が土着して地名を氏としたという。

南北朝時代に蘇原荘の地頭職にあった大見氏は、元々伊豆国大見郷の豪族であり、治承4年(1180年8月源頼朝挙兵に参加した。[1]

近世以降の沿革

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知行 村数 村名
藩領 尾張藩(太田代官) 5村 鵜沼村、柿沢村、野村、飛鳥村、小網村
高富藩 1村 岩滝村
幕府領 美濃郡代 9村 大洞村、各務村、須衛村、坂井村、吉兵衛新田、伊吹村、北洞村、更木新田、影野新田
幕府領   旗本領 美濃郡代      室賀甲斐守 1村 岩田村
美濃郡代      金田三左衛門 1村 古市場村
幕府領    藩領     旗本領 美濃郡代      尾張藩(太田代官)      室賀甲斐守 1村 前野村
藩領    旗本領     高富藩      金田斧太郎      金田小膳     金田三左衛門     室賀甲斐守        1村 芥見村
旗本領 室賀甲斐守 1村 宮代村
坪内帯刀 1村 下切村
坪内輪三郎 1村 山脇村
坪内飛騨守 7村 三井村、上戸村、新加納村、長塚村、大野村、小佐野村、前渡村
徳山出羽守 6村 西市場村、桐野村、岩地村、山後村、大島村、三滝新田
徳山出羽守    徳山小左衛門 1村 野口村
徳山小左衛門 1村 島崎村
徳山小左衛門   戸田七内 1村 熊田村
戸田七内 1村 持田村
戸田七内     金田左近     金田三左衛門 1村 東門村
金田三左衛門 1村 東島村

行政

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厚見・方県・各務郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年)2月18日
明治30年(1897年)3月31日 厚見郡および方県郡の一部と合併により各務郡廃止

脚注

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  1. ^ a b 角川日本地名大辞典 21 岐阜県. 角川書店. (昭和55年9月20日) 
  2. ^ 明治7年9月岐阜県第187号布達
  3. ^ この3村は第一大区の所属であったが、小区は異なり、柿沢村は第十六小区。三滝新田は第十四小区、野村は第十五小区であった。発足した三柿野村は第十六小区の所属となった。
  4. ^ 明治8年1月岐阜県第17号布達
  5. ^ 両村とも第一大区第十六小区の所属であり、発足した大宮村も第一大区第十六小区の所属であった。
  6. ^ 5村とも第一大区第十六小区の所属であり、発足した和合村も第一大区第十六小区の所属であった。
  7. ^ 第1大区第16小区の所属となる。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 21 岐阜県、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室

関連項目

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先代
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行政区の変遷
- 1897年
次代
稲葉郡