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石津郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岐阜県石津郡の位置

石津郡(いしづぐん)は、岐阜県美濃国)にあった

郡域

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多芸郡を挟んで東西で飛地状態となっていた。のちに西部が上石津郡を経て養老郡、東部が下石津郡を経て海津郡となった。

現在の以下の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。

  • 大垣市の一部(上石津町各町)
  • 海津市の一部(南濃町戸田、南濃町徳田、南濃町庭田より南東かつ海津町福岡、海津町高須町、海津町馬目、海津町内記、海津町札野、海津町深浜、海津町江東、海津町福江、海津町古中島より南西)
  • 養老郡養老町の一部(沢田・桜井)

歴史

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855年(斉衡2年)閏4月、多芸郡の南部を割いて建郡。郡名の由来は、当地を開拓した石津連に因むと伝える。大庭、建部、桜樹、山崎の4郷。郡家は山崎郷に所在したと推測される。[1]

江戸時代初期は高須藩徳永家)と多良藩関家)が存在した。後に高須藩は尾張藩支藩(尾張松平家)になり、多良藩は廃止され、交代寄合美濃衆(高木西家、高木東家の3家である高木家)の陣屋西高木家陣屋)が設置された。

近世以降の沿革

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所属町村の変遷は上石津郡#郡発足までの沿革下石津郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照

その他

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  • 多芸郡を挟んで東西で飛び地状態となっていた。飛び地はそれぞれ上石津郡と下石津郡となった。上石津郡は西側の山間部、下石津郡は東側の平野部に相当する。上石津郡は養老郡上石津町(現大垣市の一部)、下石津郡は海津郡海津町(現海津市の一部)にほぼ相当する。
  • 上石津郡と下石津郡に分割された後、上石津郡は多芸郡と統合されて養老郡に、下石津郡は海西郡と統合されて海津郡となり、どちらも短期間で消滅している。

脚注

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  1. ^ 『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年9月20日。 
  2. ^ 尾張藩附家老竹腰氏領が慶応4年1月24日(1868年2月17日)に立藩。
  3. ^ 明治7年9月岐阜県第187号布達

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 21 岐阜県、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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先代
多芸郡
行政区の変遷
855年 - 1879年
次代
上石津郡下石津郡