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多芸郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岐阜県多芸郡の位置(薄黄:後に他郡に編入された区域)

多芸郡(たぎぐん)は、岐阜県美濃国)にあった

郡域

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古代には現在の養老郡海津郡にわたる広大な郡域だった。

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。

  • 大垣市の一部(野口町・野口・横曽根町・横曽根・高渕町・高渕・上笠町・上笠・西大外羽町・西大外羽・大外羽・多芸島町・多芸島)
  • 海津市の一部(南濃町駒野新田・南濃町早瀬・南濃町津屋・南濃町志津・南濃町志津新田)
  • 養老郡養老町の大部分(室原・沢田を除く)

歴史

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古代

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郡名の由来は倭建命伊吹山から伊勢国へ帰る途中この地で歩行困難となり、「多芸多芸しくなりぬ」と言ったことに因むという。古代には多伎、当伎、当耆、当き(口偏に耆)、多紀とも書かれた。斉衡2年(855年)閏4月に当郡を割いて石津郡が成立。仁和元年(885年10月21日、多芸郡の大領外従七位上の刑部連春雄が父にその罪を告げられ推断された。天平12年(740年11月聖武天皇伊勢国から当郡に至り、多芸行宮に行幸した。式内社多伎神社大神神社御井神社久々美雄彦神社の4座。『和名抄』には富上郷、物部郷、垂穂郷、立野郷、有田郷、田後郷、佐伯郷、建部郷の8郷を挙げている。郡家は物部郷にあった。

中世

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郡内の荘園は物部荘、建部荘、金屋荘、山上荘などがあった。また、丸毛氏の大墳城、宮川氏の上笠城があった。

近世以降の沿革

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知行 村数 村名
幕府領 美濃郡代 15村 祖父江村、飯積村、金屋村、根古地新田、小倉村、飯之木村、大坪村、津屋新田、有尾村、有尾新田、大跡村、大跡新田、明徳村、白石村、段海村[1]
大垣藩預地 11村 五日市村、押越村、大場村、大場新田、岩道村、上之郷村、島田村、横屋村、直江村、根古地村、志津新田
藩領 美濃大垣藩 21村 志津村、釜段新田[2]、柏尾村、勢至村、竜泉寺村、上笠村、高淵村、大塚村、安久村、高畑村、宇田村、豊村、中村、橋爪村、上方村、津屋村、舟見村、若宮村、桜井村、多芸島村、上屋村、大外羽村
美濃今尾藩 6村 大野村、船附村、栗笠村、下笠村、烏江村、西岩道村
尾張藩[3] 3村 蛇持村、横曽根村、江月村
美濃高須藩 1村 駒野新田[4]
藩領   寺社領 大垣藩     伊勢神宮 2村 鷲巣村、石畑村
尾張藩      伊勢神宮 1村 飯田村
大垣藩     宝光院 1村 野口村
尾張犬山藩[5]   法泉寺 1村 口ヶ島村

行政

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多芸・上石津郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年)2月18日
明治30年(1897年)3月31日 上石津郡との合併により多芸郡廃止

脚注

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  1. ^ 記載なし。
  2. ^ 記載は志津村に含まれているとみられる。本項では便宜上村数には数えない。
  3. ^ 右記のほか「旧藩調漏」として下笠村新田が記載されているが詳細不明。
  4. ^ 記載は石津郡だが、本項では「角川日本地名大辞典」の記載に従って本郡とする。
  5. ^ 尾張藩附家老成瀬氏領が慶応4年1月24日(1868年2月17日)に立藩。
  6. ^ 明治7年9月岐阜県第187号布達
  7. ^ 明治8年1月岐阜県第17号布達

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 21 岐阜県、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室

関連項目

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先代
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行政区の変遷
- 1897年
次代
養老郡