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宝乃純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石野敦子から転送)
たからの じゅん
宝乃 純
本名 石野 敦子(いしの あつこ)
生年月日 (1974-06-25) 1974年6月25日(50歳)
出生地 日本の旗 日本兵庫県芦屋市
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宝乃 純(たからの じゅん、本名:石野 敦子(いしの あつこ)、1974年6月25日[1] - )は、日本女優タレント兵庫県芦屋市出身[2]

姉は女優・アイドル歌手の石野真子いしのようこ(旧名:石野陽子)。

来歴・人物

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物心ついた小さい頃から姉たちをテレビで見ていて芸能界を身近に感じていたということで「いつかは自分も行くのが当然」と思い込んで芸能界入りすることを決めていた[3]。一方で、姉が芸能人ということだけでいじめられたことも「イヤというほどあった」という[1]。しかし本人曰く「子供の頃の私は自分の意思が欠けていると言われた子で、すぐ人を信用してしまう」という性格から、姉二人からは「芸能界は一つ間違うとすぐ流される世界なので、あなたには向かない」と言われ[1]、芸能界入りをすごく反対されていたという[2]阪神・淡路大震災では、芦屋市の自宅で被災を経験する[2]

地元・兵庫で『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送)など番組のレポーターを始めた[1]後、1995年末にツーカーセルラー東京のCMで本木雅弘の相手役として(本木が運転するトラックをボディコン姿でヒッチハイク。本人曰く、ボディコンはこの時初めて着たとのこと[1])本格的に芸能界デビュー[2][3]1996年1月15日に上京[1]。敦子を東京に呼んだのは「成長したし、もう大丈夫」と思ったという長姉・真子だった[1]。そして真子と同じ事務所に所属する[2]

かつては本名で活動していた。当時はドラマやCM、クイズ番組の司会や旅番組、モデルなどマルチに活躍していた。その後、本名を封印しミュージカルや声のみの仕事に転向していく。現在は宝乃とはまた違う芸名でほとんどメディアに出演せず声優など声を使う仕事をしている。 既に宝乃純の芸名も変え、SNSも一切していない。 近年では三重県の志摩観光ホテルにてディナーショーを開催するなどしている。[要出典]

サイズは身長161cm、B82cm、W61cm、H88cm[2]。趣味は洋画鑑賞(1996年当時公表していたプロフィールによる)[3]

ちなみに長姉・真子がアイドル時代の1980年に上梓した単行本『恋のキャッチボール』に敦子をテーマにしたポエムが掲載されており、後にこのポエムをアレンジして歌詞とした楽曲『妹に捧げる唄』が、真子のアルバム『私のしあわせ MAKO・5』に収録された。

出演

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テレビドラマ

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テレビバラエティ

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作品

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写真集

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  • Junshin (ぶんか社、撮影:武藤義、1997年1月)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g SPA!扶桑社)1996年2月14日号「今週の顔」p.15
  2. ^ a b c d e f 週刊宝石 1996年2月8日号 p.28 - 29「“ツーカーセルラー”CMに出演の石野敦子(21)ボインのお姉ちゃんは石野真子の妹!」
  3. ^ a b c FRIDAY 1996年2月16日号「話題ニューフェイス4爆発」p.24
  4. ^ テレビドラマデータベース『「石野敦子」でのドラマデータベース検索結果』
  5. ^ 週刊TVガイド 1996年5月24日号 p.42
  6. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1996年5月24日号 p.55
  7. ^ Tokyo23区の女(フジテレビ出版、1996年9月)p.101 - 127「墨田区の女」
  8. ^ テレビドラマデータベース「TOKYO23区の女(第8回)墨田区の女」