社本鋭郎
社本 鋭郎 しゃもと えつろう | |
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生年月日 | 1901年3月20日 |
出生地 | 日本 |
没年月日 | 1982年??月??日 |
前職 | 福玉精麦代表取締役社長 |
称号 | 大口町名誉町民(第1号) |
選挙区 | 丹羽郡選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1963年4月17日 - 1971年4月11日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1962年 - 1963年 |
大口村長 | |
在任期間 | 1951年 - 1962年 |
大口村議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年 - |
社本 鋭郎(しゃもと えつろう、1901年〈明治34年〉3月20日 - 1982年〈昭和57年〉[1])は、日本の実業家、政治家。初代大口町長。
愛知県議会議員(3期)、大口村長、大口村議会議員などを歴任した。福玉精麦(現・福玉精穀倉庫)代表取締役社長[2]。
来歴
[編集]1947年(昭和22年)から大口村議員を1期務める[3]。1951年(昭和26年)に大口村長となる[2]。1962年(昭和37年)には町制施行により初代大口町長となる[2]。町長としての在職は1962年(昭和37年)4月から1963年(昭和38年)4月[4]。1963年(昭和38年)から1975年(昭和50年)までは愛知県議を3期12年にわたり務めた[3]。
1975年(昭和50年)9月、大口町名誉町民条例が制定され、1977年(昭和52年)4月1日、長年の功績を称え名誉町民が授与された[3]。これは名誉町民第1号となる[2]。
このほか、大口町土地改良区理事長を任される[5]。
業績
[編集]桜の植樹
[編集]大口村は南北で対立意識があったといい、村長として村の一体感を醸成するため、村の中心を流れる五条川堤防への桜の植樹を思いつき、実行する[2]。河川を管理する国当局の反対をねじ伏せ、私財により購入した桜の苗木を1952年(昭和27年)に植えた[2]。現在は大口町の花として「桜」が制定されるほどのシンボルともなっているほか[2]、五条川の桜並木は日本さくら名所100選にも選ばれている。
また、「おおぐち観鋭桜」という桜の品種に名を残す[6]。大口町の古来種である諏訪神社のエドヒガンの冬芽をクローン培養技術により育てた桜で、五条川堤の桜並木の生みの親である社本に敬意を表し、2016年(平成28年)11月に公募により決定し、2018年(平成30年)3月に商標登録された。
工場誘致
[編集]社本の就任時、大口村は純農村であり、財政の悪さから周辺の自治体から合併を謝絶されたことから、単独で発展させる道を選んだ[2]。1956年(昭和31年)には民成紡績(現・トヨタ紡織)の工場が操業を開始[2]。町は1963年(昭和38年)9月に工場誘致条例を制定し、以降1966年(昭和41年)4月の条例廃止までに70件ほどの企業誘致に成功した[7]。以降、町内にはリンナイ・東海理化・兼房・ヤマザキマザック・日吉鋳工などの多くの企業が拠点を置くようになったことから、1981年(昭和56年)以降、地方交付税不交付団体となっている[2]
家族
[編集]脚注
[編集]- ^ 日外アソシエーツ 2020, p. 400.
- ^ a b c d e f g h i j k l 金森篤史「明治大正昭和あいち賢人 初代大口町長 社本鋭郎(1901~82) 桜並木と企業の町に」『中日新聞朝刊』2012年7月7日、21面。
- ^ a b c 大口町史編纂委員会 1982, p. 441.
- ^ 大口町史編纂委員会 1982, p. 438.
- ^ 大口町史編纂委員会 1982, p. 442.
- ^ “おおぐち観鋭桜について”. 2022年9月11日閲覧。
- ^ 大口町史編纂委員会 1982, p. 459.
参考文献
[編集]- 大口町史編纂委員会 編『大口町史』愛知県丹羽郡大口町役場、1982年。
- 日外アソシエーツ 編『愛知県人物・人材情報リスト2021(第1巻)』日外アソシエーツ、2020年、400頁。