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祐範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

祐範(ゆうはん / すけのり、生没年未詳)は、平安時代末期の僧侶熱田大宮司藤原季範の子。源頼朝の叔父にあたる。法橋。子に任憲。

保元4年(1159年)3月に姉の由良御前が死去した際、49日の仏事を差配してその菩提を弔っている。平治元年(1160年)12月の平治の乱では、姉の長男で甥にあたる14歳の源頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出している。頼朝の伊豆配流に付き添ったのは、祐範の郎従と頼朝の父・義朝の家人で因幡国住人・高庭介資経が送った親族の藤七資家[2]のみであったという。祐範はその後も伊豆の頼朝の元に毎月使者を送っている。

祐範の死後、頼朝が挙兵し鎌倉殿となった文治4年(1188年)11月1日、祐範の子で僧侶の任憲が頼朝の元を訪れて初めて対面し、親しく語らった。建久2年(1191年)8月、任憲が熱田社領の田地を廻る争いで、朝廷の裁決で支配を退けられたものを、再び申し立てるために頼朝に口添えを求めている。難しい案件なので頼朝は渋りながらも、その父・祐範への恩義から、朝廷に取次ぎをしている。

脚注

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  1. ^ 五味 & 本郷 2008, p. 24.
  2. ^ 『吾妻鏡』元暦元年3月10日条[1]

参考文献

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  • 五味文彦; 本郷和人 編『平氏滅亡』吉川弘文館〈現代語訳吾妻鏡, 2〉、2008年3月。ISBN 9784642027090NCID BA84796336 
  • 五味文彦; 本郷和人 編『征夷大将軍』吉川弘文館〈現代語訳吾妻鏡, 5〉、2009年3月。ISBN 9784642027120NCID BA89133799 
  • 野口実『武門源氏の血脈 : 為義から義経まで』中央公論新社、2012年1月。ISBN 9784120043185NCID BB07877565 
  • 細川重男『頼朝の武士団 : 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社〈歴史新書y, 031〉、2012年8月。ISBN 9784862489500NCID BB10023182