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祖父君神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
祖父君神社
所在地 長崎県南松浦郡新上五島町浦桑郷367
位置 北緯32度59分14.1秒 東経129度04分59.3秒 / 北緯32.987250度 東経129.083139度 / 32.987250; 129.083139
主祭神 伊邪那岐尊
社格 旧郷社
創建 文明5年(1473年)
別名 浦の宮
例祭 12月1日
主な神事 上五島神楽(祇園祭、例大祭) 
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社殿
萬福籠瀬
境内社

祖父君神社(おじぎみじんじゃ)は、長崎県南松浦郡新上五島町浦桑郷に鎮座する神社である。有川郷の祖母君(うばぎみ)神社(現有川神社)と由緒を同じくし、祖母君神社を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「浦の宮」と呼ばれる。

祭神

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伊邪那岐尊を主祭神に、倉稲玉神誉田別神事代主神市岐国姫神田心姫命)、素戔嗚神の5柱を配祀する。

配祀神中の市岐国姫神と素戔嗚神は、昭和62年(1987年)8月の台風で社殿が倒壊した旧胸肩神社の、誉田別神は境内社八幡神社の祭神である。

歴史

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文明5年(1473年)8月、当時五島を領有していた宇久氏の次郎三郎と家臣の大久保家次に、有川湾に浮かぶ萬福籠瀬に陰陽の2神が天降り、「有川魚目守護神として奉祀せよ」との神託があった。神託を受けて同年8月13日、同地に陰神を奉祀(後の有川・祖母君神社)。同年11月1日、同地に陽神(伊邪那岐尊)を奉祀した。だが、陸地から遠く参拝に不便だったため陽神伊邪那岐尊を御亀地瀬に奉遷。その後、陸地により近いイタツシケ瀬に再度奉遷し魚目12ヶ村の宗廟とした。しかし、イタツシケ瀬もやはり不便な地であったため、文明10年(1478年)11月、現在の宮地に奉遷した。なお、家臣の大久保は後に姓を「宮田」と改め、当社の初代神主になった。

享保3年(1718年)に事代主神、宝暦6年(1756年)に倉稲玉神を合祀

明治初年の神仏分離令の際には、当社の神体としていた不動明王像を同郷・白鳥神社(祭神・白鳥大神)に移している。同4年(1871年村社に列せられ、同43年(1910年)10月に神饌幣帛料供進神社に指定、昭和9年(1934年)に郷社に昇格した。昭和62年10月7日、市岐国姫神と素戔嗚神を合祀。

祭祀

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祇園祭、11月1日、2日の例祭には上五島神楽が奉納される。上五島神楽は国の選択無形民俗文化財に選択された五島神楽に含まれる。また、長崎県無形民俗文化財にも単独で指定されている。

主な祭礼・神事

境内社

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八幡神社

その他の神社

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その他の浦桑郷の神社に貴船明神社がある。

また、隣接する榎津郷榎津神社が、七目郷潮目天満神社が、青方郷青方神社がある。

参考文献

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  • 新魚目町郷土誌 昭和61年』新魚目町郷土史編纂委員会
  • 『五島神社誌 昭和18年(復刻版)』神祇会南松浦郡部