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祝田禰宜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
祝田禰宜
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
改名 不詳
別名 不詳
主君 井伊直平井伊直盛井伊直虎
氏族 祝田氏
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祝田 禰宜[注 1](ほうだ ねぎ)は、戦国時代神主。祝田郷の代表。

人物

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蜂前神社の神主であり、この神社からは井伊家に関連する史料がよく伝えられている。永正8年(1511年)の井伊直平が発した、祝田助四郎の土地に関連する文書に禰宜の名前が見られる[1]。享禄3年(1530年)、井伊家家臣・小野貞久から田地寄進される。他方では、小野兵庫助との領地に関連する争いが見られた。天文21年(1552年)、井伊直盛により祝田の市場の特権を得る[2]

永禄9年(1566年)、今川氏真による徳政令の発令後、今川家家臣・匂坂直興に主張し、小野道好を手玉に取り、2年後の永禄11年(1568年)に井伊氏により実行された[3]

登場作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ 禰宜」は神職名であり、実際の名前は不明である。

出典

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  1. ^ 小和田哲男 2016, p. 73.
  2. ^ 古島敏雄和歌森太郎木村礎著『郷土史研究講座』〈第4〉近世郷土史研究法 (朝倉書店、1970年)27頁
  3. ^ 引佐町 1991, p. 568–569.

参考文献

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  • 「蜂前神社文書」『静岡県史 資料編7 中世三』(静岡県、1994年)
  • 小和田哲男『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』洋泉社、2016年。 
  • 『歴史REAL おんな城主 井伊直虎の生涯』(洋泉社、2016年)
  • 引佐町 編『引佐町史』《上巻》引佐町、1991年。