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神保八十吉

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神保 八十吉(じんぼ やそきち、1862年9月21日文久2年8月28日) - 1949年昭和24年)8月13日)は、明治後期から昭和前期の日本実業家

人物

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文久2年(1862年)、加賀国石川県)に生まれる[1]。加賀絹糸、小松銀行の取締役を務め[2]、明治40年(1907年)、小松銀行が能美銀行と合併し、小松商業銀行が設立されるに際しては、創立発起人の1人となり、同行の取締役も務めた[3]。小松銀行の監査役を務めた宇都宮源平が、大正9年(1920年)、宇都宮書店(現・うつのみや)を株式会社化するに当たっては、神保も取締役として参画した[4]

また、小松にて神保運送を経営し、金沢運輸事務所管内公認運送取扱人組合の評議員や、鉄道公認運送取扱人組合中央会の代議員を務めた[5]。大正15年(1926年)、鉄道省より運送事業者の合同を慫慂する声明が発表され[6]、昭和2年(1927年)に小松合同運送が設立されると、神保も取締役に就任した[7]

『北陸人物名鑑』によると、はじめ官吏であったが、実業界に転じ、まず運送業で成功、次いで土地家屋の売買でも巨利を収め、商業の発達に伴う石炭コークスの需要を見込むと、その一手売買を行う石炭商として収益を挙げ、人口増加に伴う住宅難を見込むと、金沢市内各地に貸家を建築し、金沢一流の大家主となったとされる[8]

家主としては、金沢市内の家主らで構成する家主同盟会に属していたが、大正8年(1919年6月3日、家主同盟会が家賃値上げを決議すると、永井柳太郎の支持者らによる反対運動が起こり、神保らが家主同盟会を脱退、同盟会の批判に回った[9]。その後間もない6月18日、同盟会は値上げを撤回し、同盟会自体が解散するに至っている[9]

貴族院多額納税者議員の互選資格者で、憲政会に属した[10]

第二次世界大戦中の石炭の販売統制下にあっては、石川県石炭統制、東海石炭販売両社の取締役、相談役を務めた[11]。昭和20年(1945年)には、産業功労者として石川県による表彰を受けた[12]

昭和24年(1949年)、88歳にて死去。晩年は石川県石炭業界の最長老とされた[11]

親族

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神保邸

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金沢市長町にあった神保邸は、八十吉の長男・成吉が通った第四高等学校(四高)から近く、成吉の同級生らのたまり場になっていた。その同級生には山田姓が2人おり、神保家の女中らは1人を「きれいな山田さん」もう1人を「汚い山田さん」と呼び、後者が後に八十吉の四女の夫となった山田守であった[16]

大正13年(1924年11月4日、最後の元老・西園寺公望が金沢を訪れた際には、神保邸を宿としたことが、秘書であった原田熊雄の記録に残されている[17]

出典

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  1. ^ 『昭和人名辞典 第2巻』石川11頁(日本図書センター,1987)
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録 明治33年』413,422頁(商業興信所,1900)
  3. ^ 『大日本銀行会社沿革史』176-177頁(東都通信社,1919)
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録 明治33年』413頁、『日本全国諸会社役員録 第29回』下編424頁(商業興信所,1921)、富沢友治編著『創業百年の歩み』27頁(うつのみや,1979)
  5. ^ 『鉄道公認運送取扱人名簿(1919年版)』役員一覧表7頁(鉄道公認運送取扱人組合中央会,1919)、『鉄道公認運送取扱人名簿(1921年版)』役員一覧表3頁(鉄道公認運送取扱人組合中央会,1921)
  6. ^ 『鉄道省指定運送取扱人制度の沿革』24,30頁(大阪鉄道局,1936)
  7. ^ 『日本全国諸会社役員録 第36回(昭和3年)』下編373頁(商業興信所,1928)
  8. ^ 佐久間竜太郎編『北陸人物名鑑 大正11年版』167-168頁(中心社,1922)
  9. ^ a b 橋本哲哉編『近代日本の地方都市 金沢/城下町から近代都市へ』263頁(日本経済評論社,2006)、北陸毎日新聞大正8年6月20日
  10. ^ 渋谷隆一 編『大正昭和日本全国資産家・地主資料集成3』152頁(柏書房,1985)
  11. ^ a b 北國毎日新聞 昭和24年8月14日3面
  12. ^ 『石川県史 現代篇(3)』附録17-18頁(石川県,1964)
  13. ^ 『帝国大学出身名鑑』シ75頁(校友調査会,1934)
  14. ^ a b 向井覚『建築家山田守』135頁(東海大学出版会,1992)
  15. ^ 『建築家山田守』73,134-5頁
  16. ^ 『建築家山田守』134頁
  17. ^ 原田熊雄ほか『西園寺公と政局 別巻』4頁(岩波書店,1956)