神岡町立大津山小学校
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神岡町立大津山小学校 | |
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国公私立の別 | 私立学校→公立学校 |
設置者 | 三井鉱山→神岡町 |
設立年月日 | 1910年 |
閉校年月日 | 1975年 |
所在地 | 〒506-1205[注釈 1] |
岐阜県飛騨市神岡町東茂住 | |
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神岡町立大津山小学校 (かみおかちょうりつ おおつやましょうがっこう)は、かつて岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)に存在した公立小学校。
概要
[編集]- 元は三井財閥の三井鉱山が、神岡鉱山茂住坑の従業員の社宅(大津山社宅)の児童のために設置された私立学校であった。1953年に神岡町に移管され、神岡町立大津山小学校となる。1947年から廃校時(1975年)までは大津山中学校を併設し、大津山小中学校とも称した。
- 児童の多くは神岡鉱山大津山社宅の児童であった。大津山社宅の縮小により廃校。
沿革
[編集]- 1910年(明治43年) - 吉城郡船津町東茂住に、三井鉱山により私立神岡第三尋常小学校として開校。
- 1916年(大正5年) - 富山県上新川郡福沢村に清五郎谷分教場を設置。
- 1921年(大正10年) - 清五郎谷分教場を廃止。
- 1922年(大正11年) - 池ノ山分教場を設置[注釈 2]。
- 1927年(昭和2年) - 私立茂住尋常小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年) - 三井茂住校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 私立茂住小学校に改称する。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 私立神岡第二小学校に改称する。
- 1953年(昭和28年)4月 - 神岡鉱山が私立学校法による学校法人設置を断念。神岡町に移管され、神岡町立大津山小学校に改称する。
- 1975年(昭和50年)7月 - 大津山社宅の縮小に伴う児童減のため、神岡東小学校に統合され廃校。同時に大津山中学校も神岡中学校に統合され廃校。
その他
[編集]- 東茂住には茂住小学校という小学校が2校存在した時期が、昭和初期(1927年~1941年)と戦後間もない時期(1947年~1949年)存在した。私立茂住小学校が当記事の「神岡町立大津山小学校」のことであり、公立(船津町立)茂住小学校は「神岡町立茂住小学校のことである。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 神岡町史 通史編Ⅱ (飛騨市教育委員会 2008年) P.207 - 219 237 - 238