神岡町立茂住小学校
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神岡町立茂住小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神岡町 |
設立年月日 | 1874年 |
閉校年月日 | 1984年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒506-1205[注釈 1] |
岐阜県飛騨市神岡町東茂住238[注釈 2] | |
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神岡町立茂住小学校 (かみおかちょうりつ もずみしょうがっこう)は、かつて岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)に存在した公立小学校。
概要
[編集]- 旧・吉城郡船津町の小学校であり、東茂住・西茂住・谷・中山などが校区であった。1984年に神岡東小学校に統合され廃校。
- 1947年から1968年までは茂住中学校を併設し、茂住小中学校とも称した。
- 跡地は神岡町北部会館になっている。神岡町北部会館は2012年から一部が重力波望遠鏡KAGRAの建設拠点として使用されていたが、2018年に全面改修し、全館がKAGRAの研究施設(東京大学宇宙線研究所宇宙基礎物理学部門・重力波グループ神岡オフィス)となっている[1]。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年) - 東茂住村に茂住学校として開校。
- 1875年(明治8年) -
- 1886年(明治19年) - 茂住簡易科小学校に改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 神岡村が分割され、船津・朝浦・東町・鹿間・割石・吉ヶ原・二ツ屋・西漆山・東漆山・笈破・牧・土・西茂住・東茂住・杉山・横山・中山・谷・跡津川・佐古・大多和で船津町が発足。
- 1890年(明治23年) - 茂住尋常小学校に改称する。
- 1901年(明治34年)4月 - 谷簡易科小学校を統合し、谷分教場を設置。
- 1913年(大正2年) - 校舎を全焼(1924年再建)。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 茂住国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 船津町立茂住小学校に改称する。
- 1950年(昭和25年)6月10日 - 船津町、阿曽布村、袖川村が合併し、神岡町が発足。同時に神岡町立茂住小学校に改称する。
- 1963年(昭和38年)3月 - 谷分校を廃止。谷・中山地区の児童は富山県婦負郡細入村(現・富山市)へ委託[注釈 4]。
- 1984年(昭和59年)3月 - 神岡東小学校に統合され廃校。
その他
[編集]- 船津町には茂住小学校が公立私立の2校が存在した時期(1927年~1941年、1947年~1949年)が存在した。公立の茂住小学校は当記事の茂住小学校であるが、私立は三井鉱山が設置した茂住小学校である。私立茂住小学校は1948年に神岡町に移管され、神岡町立大津山小学校となっている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 神岡町史 通史編Ⅱ (飛騨市教育委員会 2008年) P.207 - 264