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神岡町立茂住小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神岡町立茂住小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 神岡町
設立年月日 1874年
閉校年月日 1984年
共学・別学 男女共学
所在地 506-1205[注釈 1]
岐阜県飛騨市神岡町東茂住238[注釈 2]
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神岡町立茂住小学校 (かみおかちょうりつ もずみしょうがっこう)は、かつて岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)に存在した公立小学校

概要

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  • 旧・吉城郡船津町の小学校であり、東茂住・西茂住・谷・中山などが校区であった。1984年に神岡東小学校に統合され廃校。
  • 1947年から1968年までは茂住中学校を併設し、茂住小中学校とも称した。
  • 跡地は神岡町北部会館になっている。神岡町北部会館は2012年から一部が重力波望遠鏡KAGRAの建設拠点として使用されていたが、2018年に全面改修し、全館がKAGRAの研究施設(東京大学宇宙線研究所宇宙基礎物理学部門・重力波グループ神岡オフィス)となっている[1]

沿革

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  • 1874年(明治7年) - 東茂住村に茂住学校として開校。
  • 1875年(明治8年) -
  • 1886年(明治19年) - 茂住簡易科小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 神岡村が分割され、船津・朝浦・東町・鹿間・割石・吉ヶ原・二ツ屋・西漆山・東漆山・笈破・牧・土・西茂住・東茂住・杉山・横山・中山・谷・跡津川・佐古・大多和で船津町が発足。
  • 1890年(明治23年) - 茂住尋常小学校に改称する。
  • 1901年(明治34年)4月 - 谷簡易科小学校を統合し、谷分教場を設置。
  • 1913年(大正2年) - 校舎を全焼(1924年再建)。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 茂住国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 船津町立茂住小学校に改称する。
  • 1950年(昭和25年)6月10日 - 船津町、阿曽布村袖川村が合併し、神岡町が発足。同時に神岡町立茂住小学校に改称する。
  • 1963年(昭和38年)3月 - 谷分校を廃止。谷・中山地区の児童は富山県婦負郡細入村(現・富山市)へ委託[注釈 4]
  • 1984年(昭和59年)3月 - 神岡東小学校に統合され廃校。

 その他 

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  • 船津町には茂住小学校が公立私立の2校が存在した時期(1927年~1941年、1947年~1949年)が存在した。公立の茂住小学校は当記事の茂住小学校であるが、私立は三井鉱山が設置した茂住小学校である。私立茂住小学校は1948年に神岡町に移管され、神岡町立大津山小学校となっている。

脚注

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  1. ^ 現在の郵便番号
  2. ^ 現在の住所表記
  3. ^ 柏原村、巣山村、大笠村、山田村、西村、伏方村、堀之内村、寺林村、梨ヶ根村、朝浦村、船津村、東町村、鹿間村、吉ヶ原村、二ツ屋村、割石村、東漆山村、西漆山村、笈破村、牧村、土村、跡津川村、佐古村、大多和村、東茂住村、西茂住村、杉山村、横山村、中山村、谷村、釜崎村、吉田村、小萱村、丸山村、野首村、阿曽保村、東雲村、数河村、石神村、麻生野村、殿村、和佐保村、伊西村、森茂村、岩井谷村、下之本村、打保村、和佐府村、瀬戸村。
  4. ^ 神岡町谷・中山地区の細入村・大沢野町(現・富山市)への児童生徒への委託は、飛騨市発足後も行われている。飛騨市合併協定書

参考文献

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  • 神岡町史 通史編Ⅱ (飛騨市教育委員会 2008年) P.207 - 264

関連項目

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