神岡町立茂住小学校谷分校
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神岡町立茂住小学校谷分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神岡町 |
設立年月日 | 1875年 |
閉校年月日 | 1963年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒506-1201 |
岐阜県飛騨市神岡町谷[注釈 1] | |
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神岡町立茂住小学校谷分校(かみおかちょうりつ もずみしょうがっこう たにぶんこう)は、かつて岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)に存在した公立小学校の分校。
概要
[編集]- 旧・吉城郡神岡町(現・飛騨市)の茂住小学校[注釈 2]の分校であり、現在の飛騨市神岡町谷、飛騨市神岡町中山が校区であった。
- 校区の谷・中山は神通川、高原川を挟んで婦負郡細入村、上新川郡大沢野町(ともに現・富山市)と接する地域である。谷分校が廃校後、この地域の児童は細入村に委託され、細入村・大沢野町学校組合立猪谷小学校への通学となった。2004年に飛騨市発足後も委託は継続されている[1]。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年) - 茂住学校の支校として、谷学校が開校。神岡村大字谷・大字中山の児童が通学する。
- 1876年(明治9年) - 独立し、谷学校となる。
- 1886年(明治19年) - 谷簡易科小学校に改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 神岡村が分割され、船津・朝浦・東町・鹿間・割石・吉ヶ原・二ツ屋・西漆山・東漆山・笈破・牧・土・西茂住・東茂住・杉山・横山・中山・谷・跡津川・佐古・大多和で船津町が発足。
- 1901年(明治34年)4月 - 茂住尋常小学校に統合され、茂住尋常小学校谷分教場となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 茂住国民学校谷分教場に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 船津町立茂住小学校谷分校に改称する。
- 1950年(昭和25年)6月10日 - 船津町、阿曽布村、袖川村が合併し、神岡町が発足。同時に神岡町立茂住小学校谷分校に改称する。
- 1963年(昭和38年)3月 - 廃校。谷・中山地区の児童は富山県婦負郡細入村(現・富山市)へ委託される。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 神岡町史 通史編Ⅱ (飛騨市教育委員会 2008年) P.228 - 232