神明神社古墳 (葛城市)
神明神社古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
所在地 | 奈良県葛城市中戸 |
位置 | 北緯34度29分25.60秒 東経135度42分39.43秒 / 北緯34.4904444度 東経135.7109528度座標: 北緯34度29分25.60秒 東経135度42分39.43秒 / 北緯34.4904444度 東経135.7109528度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径20m 高さ3.2m |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土品 | 鉄釘・鉄製環金具・銀製金具・水晶製切子玉 |
築造時期 | 7世紀後半 |
史跡 | なし |
地図 |
神明神社古墳(しんめいじんじゃこふん)は、奈良県葛城市中戸(なかと)にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。
概要
[編集]奈良盆地西縁、葛城山東麓の寺口丘陵南斜面に築造された古墳である。1981年度(昭和56年度)に発掘調査が実施されている[1]。
墳形は円形で、直径20メートル・高さ3.2メートルを測る[1]。埋葬施設は横穴式石室で、南東方向に開口する。玄室・羨道の区別がほとんどなく無袖式に近い平面形で、石室のプランが単純化した新しい段階の石室であり、石室の構築にあたっては唐尺の使用が推測される[2]。石室内からは鉄釘のほか、副葬品として鉄製環金具・銀製金具・水晶製切子玉が検出されている[1]。築造時期は古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定される[1]。
現在では石室内への立ち入りは制限されている。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。石室の規模は、長さ6.14メートル・幅1.85メートル・高さ1.5メートルを測る[1]。
石室の石材には花崗岩の巨石の切石が使用される。石室の奥壁から3メートルの地点、4.5メートルの地点の側石には、それぞれ幅8センチメートルの溝が縦に認められており、それぞれ木製の中扉・前扉が存在したと推測される[1]。奥壁幅1.83メートル、奥壁-中扉間3メートル、奥壁-前扉間4.5メートルは、唐尺(1尺=約30センチメートル)の6尺・10尺・15尺にあたることから、石室の構築にあたっては唐尺の使用が推測される[1]。また石材の間隙には漆喰が一部遺存する[2]。
石室の型式は、岩屋山式石室(標式:岩屋山古墳)の系統の中でも艸墓古墳(桜井市)・西宮古墳(平群町)に次ぐ最後出に位置づけられる[2]。
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開口部
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神明神社
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
- 「神明神社古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『新庄町寺口千塚・新池支群 : 発掘調査報告 -付 神明神社古墳発掘調査概要-(奈良県遺跡調査概報1981年度別刷)』奈良県立橿原考古学研究所、1982年。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、神明神社古墳 (葛城市)に関するカテゴリがあります。