神田女学園中学校・高等学校
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神田女学園中学校・高等学校 | |
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北緯35度41分58.1秒 東経139度45分29.1秒 / 北緯35.699472度 東経139.758083度座標: 北緯35度41分58.1秒 東経139度45分29.1秒 / 北緯35.699472度 東経139.758083度 | |
過去の名称 |
神田高等女学校 神田女子高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人神田女学園 |
校訓 | 恕(誠・勤・愛・朗) |
設立年月日 | 1890年 |
共学・別学 | 男女別学(女子校) |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | グローバル・アドバンスト・フューチャー |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C113310100028 中学校) D113310100026 (高等学校) | (
高校コード | 13503J |
所在地 | 〒101-0064 |
外部リンク | 神田女学園中学校高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
神田女学園中学校・高等学校(かんだじょがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都千代田区神田猿楽町二丁目にある私立の女子中学校・高等学校。高等学校においては、中学校からの入学者と高等学校からの入学者を第1学年から混合クラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]。
概要
[編集]初代東京市長松田秀雄、江戸時代からの礼法家小笠原清務、衆議院議員角田真平の3氏により1890年(明治23年)、神田区仲猿楽町(現在の西神田2丁目一帯)に神田高等女学校を創立[2]。初代校長の竹澤里は、千葉県鴨川市の出身で、明治初期当時きわめて低調だった女子教育の必要性を痛感し、苦学力行、東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業後、創立教育界に入り女子教育の先駆者の一人である。
以来、関東大震災や太平洋戦争など、幾多の試練を乗り越えて神田女学園の伝統は脈々と受け継がれ、女子教育の輪を広げようとしている。
校訓は「誠・愛・勤・朗」、かつて理事長だった小熊又三によって『恕』の一言に要約された。『恕』とは孔子の論語にある言葉で、思いやりの心のこと。家庭的な校風である。
アルバイトと携帯電話は許可制。
ソフトボール部が全国レベルだが、以前の猿楽町校舎の校庭はテニスコートギリギリ一面分しかなかった。
岩波書店の創立者・岩波茂雄は青年時代、神田女学園で数多くの教科を担当する名物教師だった。
沿革
[編集]- 1890年 - 旧:神田猿楽町に神田高等女学校創立。
- 1917年 - 神田仲町に木造3階建ての新校舎完成。
- 1935年 - 現:猿楽町に鉄筋3階建ての校舎が完成する。
- 1948年 - 学制改革により神田女子高等学校設立。
- 1950年 - 神田女学園中学校・高等学校に改称。
- 2006年 - 校舎建て替えのため、6月に永田町(旧:千代田区立永田町小学校跡)に一時移転(2008年3月まで)。
- 2008年 - 校舎建て替え完了。
所在地
[編集]東京都千代田区猿楽町2-3-6
交通
[編集]制服
[編集]著名な出身者
[編集]脚注および参照
[編集]- ^ 神田女学園中学校 | 中学受験の情報サイト「スタディ」
- ^ 神田女学園創立100周年記念編集委員会『竹水100年の流れ』学校法人神田女学園、1990年11月1日、167頁。