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神田隆継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
神田隆継
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 通称:孫太郎、左馬
官位 石見守
主君 毛利隆元輝元
氏族 嵯峨源氏融流神田氏
兄弟 隆久隆継
久継
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神田 隆継(こうだ たかつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将周防国玖珂郡山代[1]の領主の一人。毛利氏の家臣。兄は神田隆久

生涯

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周防国玖珂郡山代[1]の領主の一つである神田氏に生まれ、永禄3年(1560年12月24日毛利隆元加冠状を受けて元服する。

天正5年(1577年1月26日毛利輝元から周防国玖珂郡山代本郷の内の9町1段半50歩のを給地として与えられる。同年に輝元の側近である松山惣四郎(後の三浦元忠)が兄・隆久の養子となって神田氏の家督を相続した。しかし、天正15年(1587年)に元忠が仁保元棟(後の繁沢元氏)の娘婿となって仁保氏三浦氏)の名跡を継ぐと、元忠の代わりに隆継が家督を相続した。

その後の動向は不明。

脚注

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  1. ^ a b 現在の山口県岩国市本郷町および錦町

参考文献

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