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祠祀令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

祠祀令(ししれい)は、古代中国の前漢後漢の時代に置かれた官職である。前漢では国の祭祀をつかさどり、後漢では宮中の祭祀をつかさどった。

前漢

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景帝の中6年(紀元前144年)に太祝令を改称して設置された[1]太常に属する官で、祠祀丞が次官としてついた[1]

武帝太初元年(紀元前104年)に廟祀令と改称した[1]

後漢

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後漢では、国の祭祀をつかさどる官として太祝令がふたたび置かれた[2]。別に、禁中(宮中)の小規模な祭祀をつかさどる官として、祠祀令が設けられた[3]。はじめ太常に属したが、後に少府の下に置かれた[2]

秩石は600石[3]宦官が任命された[3]。次官に祠祀丞がいた[3]。他の部下は、従官吏8名、騶僕射1名、家巫8名である[4]

章帝(在位:75年 - 88年)が祠令をおき、延平元年(106年)に廃止したとも伝わり、祠祀令のことかもしれない[5]

別に、諸侯王の国には、比400石の祠祀長が置かれた[6]

脚注

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  1. ^ a b c 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上、奉常。『『漢書』百官公卿表訳注』38頁。
  2. ^ a b 『後漢書』合本『続漢書』百官志3、太常。早稲田文庫『後漢書』志2の392 - 493頁。
  3. ^ a b c d 『後漢書』合本『続漢書』百官志3、少府。早稲田文庫『後漢書』志2の392 - 493頁。
  4. ^ 『後漢書』合本『続漢書』百官志3、少府、劉昭注が引用する『漢官』。早稲田文庫『後漢書』志2の494頁注6。
  5. ^ 『後漢書』合本『続漢書』百官志3、太常、劉昭注が引用する『東漢官記』。早稲田文庫『後漢書』志2の453頁注5。
  6. ^ 『続漢書』巻第28、百官志5(『後漢書』合本)。早稲田文庫『後漢書』志2の570頁。

参考文献

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  • 班固著、『漢書
    • 小竹武夫訳『漢書』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年。
    • 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。
  • 司馬彪続漢書』(范曄『後漢書』に合わさる)
    • 渡邉義浩訳、劉昭注『後漢書』志一、二(早稲田文庫)、早稲田大学出版部、2023年、2024年。