福島県立橘高等学校
表示
(福島女子高等学校から転送)
福島県立橘高等学校 | |
---|---|
北緯37度45分43.8秒 東経140度28分2.6秒 / 北緯37.762167度 東経140.467389度座標: 北緯37度45分43.8秒 東経140度28分2.6秒 / 北緯37.762167度 東経140.467389度 | |
過去の名称 |
福島町立福島高等女学校 福島県立福島高等女学校 福島県立福島第一女子高等学校 福島県立福島女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福島県 |
併合学校 | 福島県立福島第二女子高等学校 |
校訓 | 自主 自律 自立 |
設立年月日 | 1897年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2期制 |
学校コード | D107220160022 |
高校コード | 07102B |
所在地 | 〒960-8011 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
福島県立橘高等学校(ふくしまけんりつ たちばなこうとうがっこう、英: Fukushima Prefectural Tachibana High School)は、福島県福島市宮下町にある県立高等学校。略称は「橘(たちばな)」。
概要
[編集]1897年(明治30年)に開校した福島高等女学校を前身とする。
1948年(昭和23年)の学制改革により、福島県立福島女子高等学校に改称。
2003年(平成15年)、男女共学を開始した際に現校名に改称した。旧略称は「福女(ふくじょ)」。全日制課程で、普通科(7クラス)がある。校訓「自主、自律、自立」の下、自由な校風。ブレザーのみ指定。かつては3期制であったが、現在は2期制となった。また、校歌は現校名への改称時に変わり、校歌としてはめずらしい混声四部合唱となっている。
沿革
[編集]- 1897年(明治30年)4月 - 現在の一小敷地内に、福島町立福島高等女学校として開校。
- 1903年(明治36年)4月 - 町立を県立に移管。現在地(宮下町)に移転、福島県立福島高等女学校となる。福島県では最初の県立高等女学校[1]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 福島県立福島第二高等女学校開校。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、福島高等女学校は福島県立福島第一女子高等学校に、福島第二高等女学校は福島県立福島第二女子高等学校となる。
- 1949年(昭和24年)3月 - 福島第一女子高等学校と福島第二女子高等学校が統合。福島県立福島女子高等学校となる。
- 2003年(平成15年)4月 - 福島県立橘高等学校と改称。同時に男女共学高校となる。新校舎が完成し、新校歌、新校章が制定。
進路概況
[編集]福島大学、福島県立医科大学、東北学院大学、新潟大学に進学する生徒が多い。
学年の半分以上の生徒が国公立大学に合格し、進学する。現役で進学する生徒が高く、浪人を選ぶ生徒は少人数である。
詳しくは、橘高校公式サイトを参照。
部活動
[編集]運動部
[編集]陸上競技、バスケットボール、バレーボール、サッカー、テニス、ソフトボール、卓球、ハンドボール、バドミントン、水泳、剣道、弓道、山岳・スキー、硬式野球
文化部
[編集]演劇、合唱、管弦楽、美術、書道、写真、放送、囲碁、食物、科学、英語、JRC、文芸、華道、茶道、ダンス
アクセス
[編集]著名な出身者
[編集]- 浦川麗子 - 女優[2]
- 大方斐紗子 - 女優[2]
- 岡崎トミ子 - 元衆議院議員・参議院議員、元東北放送アナウンサー
- 金子恵美 - 衆議院議員、元参議院議員
- 粟山ひで - 元衆議院議員
- 高村智恵子 - 洋画家(夫は彫刻家の高村光太郎)
- 萩原美樹子 - 元バスケットボール選手
- 二瓶秀子 - 元陸上競技選手(100m・200m)
- 山下航平 - 陸上競技選手(三段跳)
- 藍原寛子 - 医療ジャーナリスト
- 米田佳奈 - 作曲家、ピアニスト
- 宍戸慈 - ラジオパーソナリティ、ピラティスインストラクター
脚注
[編集]- ^ “官報文部省告示222号福島県立福島高等女学校設置開校許可”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 国立印刷局 (1901年12月29日). 2020年7月16日閲覧。
- ^ a b 福島市史編纂委員会 編「第八章 演劇」『福島の文化』岩瀬書店〈福島市史 別巻VII〉、953 - 954頁。