福島清
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ふくしま きよし 福島 清 | |
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本名 | 笹岡 雅弁 ささおか まさわき |
別名義 | 来山 らいざん |
生年月日 | 1865年9月11日 |
没年月日 | 1927年8月9日(61歳没) |
出生地 | 日本 江戸(現在の東京都) |
国籍 | 日本 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 新派、サイレント映画現代劇 |
福島 清(ふくしま きよし、天保暦 慶応元年7月22日 / グレゴリオ暦 1865年9月11日 - 1927年8月9日[1])は、日本の俳優である。本名は笹岡 雅弁(ささおか まさわき)、俳号は来山(らいざん)[1]。
人物・来歴
[編集]グレゴリオ暦 1865年9月11日(天保暦 慶応元年7月22日)、江戸(現在の東京都)に「笹岡雅弁」として生まれる[1]。
明治維新後、法学を志し、旧制・帝国大学法科(現在の東京大学法学部)に入学するも、同学を中途退学して俳優となる[1]。福井茂兵衛率いる「福井茂兵衛一座」の座員となり、のちに伊井蓉峰率いる「伊井蓉峰一座」に入門、やがて同劇団の幹部となった[1]。
満45歳を迎える1910年(明治43年)前後、吉沢商店の目黒撮影所が製作する映画に出演、村田正雄、木村操、木下吉之助、藤川岩之助らと多く共演した[2]。
1927年(昭和2年)8月9日、死去した[1]。満61歳没。
おもなフィルモグラフィ
[編集]サイレント初期はクレジットが存在せず、不明な作品がある[3]。すべて出演[2]。
吉沢商店
[編集]- 1910年
- 『女天下』 : 監督・脚本不明、共演村田正雄、興行島越電気館
- 『サーベル』 : 監督・脚本不明、共演村田正雄・木村栄・藤井六輔、興行浅草・電気館
- 『ひとりもの』 : 監督不明、原作・脚本吉沢商店考案部、共演木村操、興行浅草・帝国館(『辻うら売』併映)
- 『辻うら売』 : 監督不明、原作・脚本吉沢商店考案部、共演木村操、興行浅草・帝国館(『ひとりもの』併映)
- 『親子』 : 監督・脚本不明、共演木村操、興行浅草・電気館
- 『彫刻師』 : 監督不明、原作・脚本吉沢商店考案部、共演木村操、興行浅草・帝国館
- 『月一つ』 : 監督・脚本不明、共演木村操、興行浅草・電気館
- 『新野崎村』 : 監督・脚本不明、共演藤沢浅二郎、興行浅草・オペラ館
- 『三人一両損』 : 監督・脚本不明、興行浅草・電気館
- 『いたずら狐』 : 監督不明、原作・脚本吉沢商店考案部、共演木下吉之助、興行浅草・電気館
- 『うその皮』 : 監督・脚本不明、共演木下吉之助、興行浅草・三友館
- 『瓶の仙人』 : 監督・脚本不明、共演五味国太郎・関根達発、興行浅草・オペラ館
- 『樵夫の子』 : 監督・脚本不明、共演五味国太郎・関根達発、興行浅草・三友館
- 『二少年の誉』 : 監督・脚本不明、共演木下吉之助、興行浅草・三友館
- 『とんだ療治』 : 監督・脚本不明、共演木下吉之助、興行浅草・電気館
- 1911年
- 『松の緑』 : 監督不明、原作・脚本吉沢商店考案部、共演藤沢浅二郎、興行浅草・電気館(『火箸の由来』併映)
- 『火箸の由来』 : 監督・脚本不明、共演藤川岩之助・藤川新派、興行浅草・電気館(『松の緑』併映)
- 『千代萩』 : 監督不明、原作・脚本吉沢商店考案部、興行浅草・電気館
- 『吹雪の夜』 : 監督・脚本不明、興行浅草・電気館
- 『さつき晴れ』 : 監督・脚本不明、共演藤川岩之助、興行浅草・電気館
- 『おてんばもの』 : 監督・脚本不明、共演藤川岩之助、興行浅草・帝国館
- 『電話の声』 : 監督・脚本不明、共演藤川岩之助、興行浅草・電気館
註
[編集]外部リンク
[編集]- 福島清 - 日本映画データベース
- 福島清 - allcinema