福永泰
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名前 | ||||||
愛称 | ヤス[1]、フク | |||||
カタカナ | フクナガ ヤスシ | |||||
ラテン文字 | FUKUNAGA Yasushi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1973年3月6日(51歳) | |||||
出身地 | 東京都町田市 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 64kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW、MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1988-1990 | 桐光学園高校 | |||||
1991-1994 | 青山学院大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-2001 | 浦和レッズ | 130 | (26) | |||
2002-2003 | ベガルタ仙台 | 13 | (0) | |||
通算 | 143 | (26) | ||||
監督歴 | ||||||
2015 | 青山学院大学 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
福永 泰(ふくなが やすし、1973年3月6日 - )は東京都町田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
来歴・人物
[編集]桐蔭学園時代は林健太郎と同級生で、戸倉健一郎や長谷部茂利は1学年上[2]、1学年下には栗原圭介と松川友明が在籍していた。 李国秀監督の元、高校2年時には背番号8をつけ、全国高校サッカー選手権に出場。準々決勝で前橋商業にPK戦の末敗れたものの、5得点の活躍[2]。
ドリブルとキープ力が持ち味[1]で、FWからボランチまでこなすプレーヤーとして活躍[2]。テスト生(トレーニー契約)として1995年に浦和レッドダイヤモンズに入団[3]、ファーストステージ途中からデビュー。シーズン後半はFWとして、この年のレッズの躍進を支える原動力となり、浦和のエース福田正博とのコンビネーションは「フクフク・コンビ」[1]と呼ばれた。
1996年は福田の怪我により、開幕戦ではFWとして出場し、序盤の3試合で4ゴールをあげた[4]。その後は怪我人が続出したこともあり、ボランチとして試合に出場した。
1997年はギラン・バレー症候群により長期欠場を余儀なくされた[2]。1998年には心機一転し、背番号10となる[2]。
2002年にはベガルタ仙台に移籍。チームの戦術にフィットして開幕5連勝の原動力となったが、同年4月14日の古巣・浦和戦で左膝前十字靭帯損傷の重傷を負う[5]。翌年に復帰するが、7試合の出場に留まり、現役続行を目指しリハビリを続けたものの負傷が完治せず2004年に引退を表明した[2]。
その後はサッカー解説者や芸能人女子フットサルチーム「ミスマガジン」の監督を務めた[6]。2009年に母校・青山学院大学サッカー部のコーチに就任し、2015年には監督を務めた。
2016年よりベガルタ仙台のトップチームコーチに就任した[7]。契約満了により2018年限りでコーチを退任した[8]。
2019年6月から浦和レッドダイヤモンズのユースコーチに就任 [9]、 2023年からは浦和レッドダイヤモンズのジュニアユースコーチに就任[10]した。
所属クラブ
[編集]- 南大谷キャッツ
- 桐光学園中学校
- 桐蔭学園高等学校
- 青山学院大学
- 1995年 - 2001年 浦和レッドダイヤモンズ
- 2002年 - 2003年 ベガルタ仙台
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1995 | 浦和 | - | J | 26 | 4 | - | 3 | 0 | 29 | 4 | |
1996 | 28 | 6 | 13 | 2 | 4 | 1 | 45 | 9 | |||
1997 | 11 | 0 | 0 | 5 | 0 | 2 | 1 | 7 | 1 | ||
1998 | 10 | 31 | 4 | 3 | 2 | 0 | 0 | 34 | 6 | ||
1999 | J1 | 14 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 16 | 4 | ||
2000 | J2 | 22 | 9 | 2 | 0 | 4 | 0 | 28 | 9 | ||
2001 | 14 | J1 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | |
2002 | 仙台 | 20 | J1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 |
2003 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 121 | 17 | 25 | 5 | 9 | 2 | 155 | 24 | |
日本 | J2 | 22 | 9 | 2 | 0 | 4 | 0 | 28 | 9 | ||
総通算 | 143 | 26 | 27 | 5 | 13 | 2 | 183 | 33 |
指導歴
[編集]- 2009年 - 2015年 青山学院大学サッカー部
- 2016年 - 2018年 ベガルタ仙台 トップチームコーチ
- 2019年6月 - 浦和レッドダイヤモンズ
- 2019年6月 - 2022年 ユースコーチ
- 2023年 - ジュニアユースコーチ
出典
[編集]- ^ a b c “【福永泰さん登場】酒蔵 力50周年企画 Monthly Legend Clinic & Talk Party Vol.2を6/23に開催”. 浦和フットボール通信 (2019年6月23日). 2022年1月17日閲覧。
- ^ a b c d e f "第36回 福永泰ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。 | Jリーグ『ピッチの勇者』"
- ^ “ゆめのはなし No.076 福永 泰”. I DREAM. スルガ銀行. 2018年12月11日閲覧。
- ^ [Jリーグカード96、浦和レッズ・福永泰より]
- ^ “MF福永泰、J1昇格年の開幕5連勝の原動力”. SANSPO.COM. pp. 1-2 (2018年9月12日). 2018年12月11日閲覧。
- ^ “JFAこころのプロジェクト夢先生プロフィール” (PDF). 日本サッカー協会. 2018年12月11日閲覧。
- ^ a b c d 『福永泰氏 トップチームコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2015年12月29日 。2015年12月29日閲覧。
- ^ 『福永泰コーチ 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2018年12月11日 。2018年12月11日閲覧。
- ^ 『アカデミーセンターの体制について』(プレスリリース)2019年5月31日 。
- ^ 『アカデミーセンター 2023年指導体制のお知らせ』(プレスリリース)2023年1月6日 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 福永泰 - WorldFootball.net
- 福永泰 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 福永泰 - J.League Data Siteによる選手データ
- 所属事務所・サムディによる福永泰プロフィール - ウェイバックマシン(2008年3月23日アーカイブ分)
- 福永泰 - ゲキサカ