秋吉三郎
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秋吉 三郎(あきよし さぶろう、1898年6月21日[1] - 1982年12月4日[2])は、日本の高分子化学者。
経歴
[編集]福岡県出身。1917年福岡県立中学修猷館[3]を経て、1923年九州帝国大学工学部応用化学科を卒業[1]。
商工省大阪工業試験所に入り、技手を経て技師となり、1935年学位を受け、同所の第四部長、第二部長を歴任。第二次世界大戦時には、陸軍兵器行政本部からの委嘱により、「重合「エチレン」蝋状物ノ合成ノ研究」を行っている[4]。
1945年九州帝国大学工学部教授に就任。1951年大阪工業試験所および熊本大学教授も兼務。1956年3月九州大学評議員に選ばれ、1959年7月九州大学工学部長も併任する[1]。
1961年帝人の常務取締役に転じ、開発本部長兼中央研究所所長を務め[5]、1965年1月研究管理室長を委嘱され、1966年11月退任する。日本学術会議会員も務めている[1]。