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秩父鉄道3000系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄165系電車 > 秩父鉄道3000系電車
秩父鉄道3000系電車
秩父鉄道3000系
2003年8月26日 寄居
主要諸元
編成 3両編成
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
最高運転速度 85km/h
編成定員 236名
車両定員 デハ3000・76名
デハ3100・84名
クハ3100・76名
主電動機出力 MT54形直流直巻電動機105kW
歯車比 80:19=1:4.21
編成出力 840kW
制御装置

CS15形電動カム軸式
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁

電動カム軸式
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
抑速ブレーキ*
保安装置 秩父鉄道形ATS
備考 *抑速ブレーキは使用停止
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秩父鉄道3000系電車(ちちぶてつどう3000けいでんしゃ)は、かつて秩父鉄道に在籍していた急行列車用の電車である。

概要

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秩父鉄道では、急行用車両として自社発注の300系を使用してきたが、車両自体の老朽化が激しい上に冷房化ができないため、乗客サービス上で難点を抱えていた[1]。そのため300系の置換えを計画した結果、1992年(平成4年)に東日本旅客鉄道(JR東日本)新前橋電車区(現・高崎車両センター)所属の165系急行形電車3両編成3本(9両)を購入の上、自社で改造したのが本系列である。

外装は「青い空、白い雲、清流」をテーマにクラシックホワイトをベースにスカイブルーのラインと窓枠・正面にはブラックをペイントした[1]。内装はクリームホワイトを基調に白い天井や側板にグレーと床に霜降りグレーを配し一体化したグローブ付き蛍光灯を設置しイメージアップを図り、座席はつや消し黒の脚台とブルーグレーの生地でモノトーン色を多く使いシンプルで落ち着いたものとした[1]

改造内容

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導入に際して日本電装[2]により以下の出張改造が施工された。

形式・編成

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羽生
第1編成 デハ3001
(クモハ165-91)
デハ3101
(モハ164-55)
クハ3201
(クハ165-93)
第2編成 デハ3002
(クモハ165-82)
デハ3102
(モハ164-50)
クハ3202
(クハ165-86)
第3編成 デハ3003
(クモハ165-93)
デハ3103
(モハ164-57)
クハ3203
(クハ165-95)
備考
  • ( )内はJR東日本時代の車両番号
  • 第1・第3編成は1968年施工の試作冷房改造車[4]

運用

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本形式は、300系の後継車両として主に秩父本線急行秩父路[5]で運用された。また時期により以下の急行列車として運転された例がある。

急行「芝桜号」
2006年5月6日 ひろせ野鳥の森 - 大麻生
  • 1月上旬:急行「開運号
  • 2月頃:急行「ロウバイ号
  • 4月上旬:急行「さくら号
  • 5月頃:急行「芝桜号
  • 5月~7月頃:広瀬川原イベント直通列車
  • 8月頃:急行「熊谷うちわ祭り号
  • 11月頃:急行「荒川村そばまつり号
  • 12月3日:急行「秩父夜祭号[6]

これらの多くは定期「秩父路」の愛称名変更によるものだが、専用のヘッドマークを愛称表示板差しに掲出して運転された[7]

愛称表示板は内側差し込み式となっており、沿線で催物開催時には特製の表示板による掲出も行われた[8]。また「回送」「臨時」の表示板がある反面、「準急」「各停」の表示板はなくこの場合は無表示となる。

6000系への置換え

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2006年11月18日から掲出された愛称板 2006年11月25日 熊谷
2006年11月18日から掲出された愛称板
2006年11月25日 熊谷
客室座席
客室座席

2003年に行われた安全性緊急評価における現車調査において車両の老朽化について指摘され、特に主回路の配線の経年による劣化が著しく、延命を図るには大規模な更新工事の必要があった。このため将来を見据えた中で、今後の車両機器の修繕や補修部品の調達などを考慮し検討した結果、6000系3編成[9]を本系列の代替車両として導入することを決定した。

2006年3月15日より本系列から6000系への置き換えが始まり、3002・3003編成が廃車となった。廃車後は2編成とも広瀬川原車両基地の無架線地帯へ留置され解体されたが、3003編成のデハ3003は車体を半分に切断した上で八高線竹沢駅付近の国道254号沿いでラーメン店として利用された。ラーメン店の廃業後も車体はしばらくの間放置されていたが、道路の拡幅工事に伴い解体撤去された。

最後まで残存した3001編成は2006年11月17日で「秩父路 EXPRESS」の愛称表示を終了。翌18日からは2種類のデザイン各2色計4パターンの「ファイナルラン」愛称板を掲出して運用され、25日の臨時列車「さよなら3000系号[10]及びイベント[11]をもって運用を終了した。その後も同年11月末までは波動用として残存していたが、翌2007年1月に広瀬川原で解体された。これにより3編成すべてが廃車となった。

2019年現在、番号不明の先頭車(クハ3203?)が切断された状態で、横瀬町の林道焼山線沿いにある採石場の資材置き場に放置されている。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h JR東日本165系が変身!急行<秩父路>用車両 秩父鉄道3000系電車 - 鉄道ジャーナル1992年6月号
  2. ^ デンソーの旧社名と同名だが、同社とは無関係。
  3. ^ 本形式に限らず秩父鉄道の便所付き車輌は全車垂れ流し式だったこと、維持コストの問題から汚物処理設備が設置できなかったことから、黄害が問題になった1970年代頃より便所を閉鎖している
  4. ^ *デハ3101(旧・モハ164-55は冷房試作改造当初AU71形集中式冷房装置を搭載。
  5. ^ 先頭車正面の愛称表示板は「秩父路 EXPRESS」
  6. ^ 秩父夜祭開催時は運用の都合上各駅停車にも投入。
  7. ^ 6000系置換え後も特製ヘッドマークを装着して運転。
  8. ^ 6000系はLEDによる文字表示のみ。
  9. ^ 2005年度に1編成、2006年度に2編成を導入。
  10. ^ 往路1007列車は羽生 - 三峰口間、復路1006列車は三峰口~熊谷間運転。途中停車駅は熊谷・寄居・長瀞御花畑で、往路途中駅からは乗車不可。三峰口駅構内では6000系やC58 363との並びも行われた。また復路急行券は羽生・熊谷・寄居・長瀞・御花畑の各駅で17日の午前10時から販売されたほか、運転日当日の三峰口駅イベント会場のみでも販売された。
  11. ^ 10月28日から「3000系さよならスタンプラリー」が開催され、往路急行券販売駅にあるスタンプを全部もしくは2つにイベント会場にある最後のスタンプを押すと3000系の絵はがき・缶バッジ・さよなら運転告知の中吊り広告が贈呈されたほか、3000系さよなら乗車券やクリアファイル・缶バッジ・携帯クリーナー・鉄道部品などの販売、「秩父路」愛称表示板のオークションが行われた。

外部リンク

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関連項目

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