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種山石工

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
通潤橋

種山石工(たねやまいしく)とは、江戸後期、熊本藩八代郡種山手永(現熊本県八代市東陽町)に居住していたとされる石工の技術者集団、肥後の石工とも呼ばれる[1]。その末裔や弟子などが、江戸時代後期から明治・大正時代にかけて、熊本県内はもとより県外にも、多数の目鑑橋を架けた。

種山石工の歴史や資料を展示する資料館として 石匠館が熊本県八代市にある。

主な人物

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石匠館

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石匠館(せきしょうかん)は、種山石工の歴史や、全国の石橋、石工技術などの資料を展示する資料館。種山石工「橋本勘五郎」の生家前にある。設計は木島安史。丸屋根。壁面は、地元で採れる凝灰岩を使用している[2]くまもとアートポリス第1回推進賞受賞作品。

  • 所在地 - 熊本県八代市東陽町北98-2
  • 開館時間 - 午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
  • 休館日 - 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
  • 駐車場有(無料)。入館料 - 大人300円、高・大学生200円

代表作

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出典

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  1. ^ 江戸・明治の石橋が熊本に 海外から技術、石工が伝承 - 日本経済新聞社
  2. ^ 石匠館”. 2013年11月21日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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