稲田植幹
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稲田 植幹(いなだ たねみき、正保3年(1646年) - 享保5年9月14日(1720年10月15日))は、徳島藩筆頭家老。淡路洲本城代稲田家5代当主。
生涯
[編集]正保3年(1646年)、徳島藩家老稲田植次の子として生まれる。母は賀島政慶の娘。慶安5年(1652年)、父稙次が没し、江戸で幕府の証人(人質)を務めていた兄植栄が家督相続して帰国したため、代わって江戸に下向し証人を務める。寛文5年(1665年)、大名家臣の証人制度廃止により、江戸から帰国する。延宝4年(1676年)、中老となる。天和3年(1683年)、兄植栄の養子となる。元禄13年(1700年)、兄の隠居により家督を相続する。元禄16年(1703年)、領内の検地を行う。宝永6年(1709年)にも領内の検地を行う。宝永7年(1710年)、領内に幕府巡見使を迎える。享保2年(1717年)、幕府巡見使を迎える。享保5年(1720年)9月14日死去。享年75。
参考文献
[編集]- 東京大学史料編纂所「淡路要録」