稲田植治
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稲田 植治(いなだ たねはる、元禄7年(1694年) - 享保7年9月14日(1722年10月23日))は、徳島藩筆頭家老。淡路洲本城代稲田家6代当主。
幼名は勝之助。通称は大炊助、九郎兵衛。
元禄7年(1694年)、蜂須賀家家老稲田植幹の子として生まれる。藩主蜂須賀綱矩に仕え、享保元年(1716年)には仕置家老となる。 享保5年(1720年)、父の死去により家督相続し、淡路国の最高行政職である洲本仕置となる。享保7年(1722年)9月14日死去。享年29。弟の植政が末期養子となって家督相続した。
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