竹村嘉理
表示
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 永禄9年(1566年) |
死没 | 寛永8年9月15日(1631年10月10日) |
別名 | 嘉政、弥吉、九郎右衛門 |
幕府 | 江戸幕府 佐渡奉行 |
主君 | 大久保長安→徳川家康→秀忠→家光 |
氏族 | 竹村氏 |
父母 | 父:竹村与吉兵衛 |
兄弟 | 道清、嘉理 |
子 | 嘉勝、嘉英 |
竹村 嘉理(たけむら よしまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・旗本。佐渡奉行。家禄850石。
生涯
[編集]永禄9年(1566年)、竹村与吉兵衛の次男として大和国竹内村にて誕生。
幼年の頃、父が細井戸城にて討死にしてから、徳川家康の命により兄・道清と隔年で織田信長の許に安土城に人質として赴く。本能寺の変の後は、大久保長安に仕え、その没後は徳川家康に仕えた。元和4年(1618年)に鎮目惟明と共に佐渡支配(佐渡奉行)を命じられ、寛永4年(1627年)まで両名か交代で佐渡に留まった。この間、佐渡の金銀産出は活況を極め、積出港の小木港の整備を行った。同6年11月29日に佐渡国内において1000石を賜る。同年7月の鎮目の没後も佐渡奉行として、寛永8年(1631年)に66歳で没するまで13年間その職にあった。
佐渡で没して光善院(小木)に葬られた説と江戸にて没し牛込大信寺に葬られた説がある。没後、子・嘉勝が佐渡奉行として赴任した。
出典
[編集]- 寛政重修諸家譜
- 日本人名大辞典(講談社)