竹腰正映
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竹腰 正映(たけのこし まさてる、元禄2年(1689年)- 宝永6年1月18日(1709年2月27日))は、尾張藩の附家老、美濃国今尾藩の第4代当主。初代当主・竹腰正信の三男竹腰正辰の長男。官位は従五位下、山城守。
正辰は別家を立てていたが、元禄11年(1698年)に正映を本家友正の養子に出した(代わりに正辰家は石河正武を養子に迎えた)。宝永3年(1706年)4月19日に附家老竹腰家の先代で従兄の友正が死去したため、同年5月25日に正映が3万石の家督を継いだ。9月には将軍の徳川綱吉に初御目見得となり、12月には従五位下山城守に叙任した。[1]
宝永6年(1709年)1月18日に21歳で死去し、跡を養子の正武が継いだ。墓所は東京都港区虎ノ門の天徳寺。
系譜
[編集]父母
養子
脚注
[編集]- ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X