竹間正雄
Masao CHIKUMA | |
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基本情報 | |
名前 | 竹間 正雄 |
生年月日 | 1933年9月7日(91歳) |
国籍 | 日本 |
経歴 |
竹間 正雄(ちくま まさお、1933年9月7日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
[編集]霞ヶ関カンツリー倶楽部にキャディとして入り、那須ゴルフ倶楽部から研修生として来ていた小針春芳と出会う[1]。
1955年にプロ入りし[2]、1957年にはホームコースの霞ヶ関CCで行われたカナダカップで中村寅吉についていた[3]。
1964年の日本プロでは一緒に練習していた小針[4]、戸田藤一郎と同じ組になり、スタート前には小針に「今日は戸田さんのゴルフを見て、何かを盗んでやろうと思っている。お前さんもそうした方がいいよ」と囁かれた[5]。竹間は小針から出た言葉で、自分の心の甘さを恥じると、ホールごとに、戸田のスイングとボールの軌道を凝視[5]。スタート前の小針の囁きが頭から離れなくなってしまい、抑えようとすればするほど、ショットが暴れ、80を切れなかった[5]。2日目のスタート前には戸田から「俺と小針を気にし過ぎているよ。そんなに気にせずに、自分のゴルフをやってみろ」とアドバイスを貰うと、69に収まり、予選を通過することが出来た[5]。
1965年の日本プロでは最終日に杉原輝雄と共に67をマークし、小野光一と並んでの5位タイ[6]に入った。
1966年には中日クラウンズに初出場し、絶好のコースコンディションで迎えた初日の第1ラウンドで多くの選手がスコアを伸ばす中、2番で2オンに成功[7]。8mのイーグルパットをねじ込むなどベストスコア66をマークし、藤井義将・松田司郎・杉原に1打差付けて単独首位に立った[7]。午後の第2ラウンドでは大ブレーキがかかり、17番のバンカーショットでミスを犯しダブルボギーとするなど、午前より9ストロークも多い75を叩き急落[7]。
1969年の関東プロでは小針と共に安田春雄とのプレーオフで敗れて2位タイ[8]に入った。
2007年には日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞[2]。
主な著書
[編集]- 「ゴルフ この単純打法で突然うまくなる 難しく考えて損していないか」主婦と生活社、1988年8月1日、ISBN 4391111039。
- 「ゴルフ この単純打法で突然うまくなる 改訂版: 難しく考えて損していないか」主婦と生活社、1997年4月1日、ISBN 4391120070。
脚注
[編集]- ^ 7月8日に県社会人女子アマ選手権。国体のリハーサルとしてフォアキャディを募る
- ^ a b 竹間 正雄 チクマ マサオ MASAO CHIKUMA
- ^ 読み物 霞の歴史 | Digital Museum | 霞ヶ関カンツリー倶楽部
- ^ カート乗り入れが好評。ヒヤリ、ハットが散見!
- ^ a b c d 理事長挨拶
- ^ 第33回日本プロゴルフ選手権(1965年)
- ^ a b c 中日クラウンズ | CBCテレビ | クラウンズの歴史
- ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂