笠松湊
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笠松湊(かさまつみなと)とは岐阜県羽島郡笠松町港町にあった河川港である。
木曽川水運の中継地点として発展していた。現在は笠松みなと公園として整備されており、川灯台が建てられている。港までの道には河原石を敷き詰めた石畳が今でも残っている。 笠松渡船場跡石畳は県指定史跡(昭和42年11月)[1]。
概要
[編集]1662年(寛文2年)に美濃国奉行(美濃郡代)名取半左衛門長知が郡代陣屋を移し、傘町から笠松に改称してから約200年にわたり、笠松陣屋を中心に、徳川幕府直轄地支配や治水行政の中心地、地方物資の集散地となった。 木曽川水運の拠点としても発展し、下流の桑名、四日市、名古屋からは海産物や塩、衣類などが運ばれ、上流からは年貢米や材木、薪炭などが運ばれた。また宝江渡船の美濃側の船着き場でもあった。
かつては問屋や倉庫、船宿、料亭などが立ち並び木曽川随一の繁栄を誇っていた。
1885年(明治18年)には笠松湊へ寄港する船は1日平均38艘、1年間に6,440艘あまりで、1892年(明治25年)ごろまでは桑名からの蒸気船が1日2往復していた。
大正から昭和初期には、ポンポン船と呼ばれる大型発動機船の時代となったが、近年鉄道の普及、自動車の発達により笠松港の役割は終わった。
脚注
[編集]- ^ “木曽川笠松渡船場跡「石畳」”. 岐阜県. 2013年5月9日閲覧。