第2次ロッキンガム侯爵内閣
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(第二次ロッキンガム侯爵内閣から転送)
第2次ロッキンガム侯爵内閣 | |
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グレートブリテン王国 第20代内閣 | |
ロッキンガム侯爵 | |
成立年月日 | 1782年3月27日 |
終了年月日 | 1782年7月1日 |
組織 | |
元首 | ジョージ3世 |
首相 | ロッキンガム侯爵 |
更迭された閣僚数 (逝去/辞任/解任) | 0人 |
総閣僚数 | 16人 |
与党 | ロッキンガム派ホイッグ党 |
議会における地位 | 多数与党 |
野党 | グレンヴィル派 |
詳細 | |
議会任期 | 第15回グレートブリテン国会 |
前内閣 | ノース内閣 |
次内閣 | シェルバーン伯爵内閣 |
第2次ロッキンガム侯爵内閣(英語: Second Rockingham ministry)はロッキンガム侯爵を首相とする、1782年3月から7月まで在任したグレートブリテン王国の内閣。
アメリカ独立戦争のヨークタウンの戦いでイギリス軍が敗れた後、ノース内閣は議会の信任を失い、1782年3月22日に辞任した。ホイッグ党出身で1765年から1766年に首相を務めたロッキンガム侯爵が組閣した。ロッキンガム派は植民地側に同情的であり、ロッキンガム内閣は終戦に向けて交渉を開始した。
しかし、ロッキンガム侯爵が1782年7月1日に死去したことで内閣が分裂した。内務大臣のシェルバーン伯爵が後任の首相になったが、閣僚数名が反対して辞任した。「ポートランド派ホイッグ党」(Portland Whigs、名目上ポートランド公爵を指導者としたためそう名付けられたが、実際はチャールズ・ジェームズ・フォックスが指導者だった)と呼ばれた彼らはノース卿とともに野党に回り、1783年にシェルバーン伯爵内閣を追い落としてフォックス=ノース連立内閣で与党になった。
内閣
[編集]役職 | 肖像 | 名前 | 在任 | 所属政党 |
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第一大蔵卿 貴族院院内総務 |
ロッキンガム侯爵 | 1782年3月27日 - 1782年7月1日 | ホイッグ党 | |
大法官 | サーロー男爵 | 1778年6月3日 - 1783年4月7日 | 無所属 | |
枢密院議長 | カムデン男爵 | 1782年3月27日 - 1783年4月2日 | ホイッグ党 | |
王璽尚書 | グラフトン公爵 | 1782年 - 1783年 | ホイッグ党 | |
財務大臣 | ジョン・キャヴェンディッシュ | 1782年3月27日 - 1782年7月10日 | ホイッグ党 | |
内務大臣 | シェルバーン伯爵 | 1782年3月27日 - 1782年7月10日 | ホイッグ党 | |
外務大臣 庶民院院内総務 |
チャールズ・ジェームズ・フォックス | 1782年3月27日 - 1782年7月5日 | ホイッグ党 | |
海軍卿 | ケッペル子爵 | 1782年 - 1783年 | ホイッグ党 | |
ランカスター公領担当大臣 | アシュバートン男爵 | 1782年4月17日 - 1783年8月29日 | 無所属 | |
補給庁長官 | リッチモンド公爵 | 1782年 - 1783年 | ホイッグ党 |
閣外大臣
[編集]- グランサム男爵 - 商務委員会第一卿
- アイザック・バレー - 海軍会計長官
- トマス・タウンゼンド - 戦時大臣
- エドマンド・バーク - 陸軍支払長官
- ポートランド公爵 - アイルランド総督
- ヘンリー・シーモア・コンウェイ - イギリス陸軍最高指揮官
参考文献
[編集]- Cook, Chris; Stevenson, John (1980-02-28). British Historical Facts: 1760-1830. Palgrave Macmillan UK. ISBN 978-0-333-21512-8
先代 ノース内閣 |
グレートブリテン王国の内閣 1782年 |
次代 シェルバーン伯爵内閣 |