第六セントラル
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第六セントラル | |
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基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | 日本 |
所有者 |
セントラルフェリー 有村産業 |
運用者 |
セントラルフェリー 有村産業 |
建造所 | 三菱重工業下関造船所 |
姉妹船 | 第一セントラル |
IMO番号 | 7118428 |
改名 |
第六セントラル えめらるど |
経歴 | |
起工 | 1971年 |
進水 | 1971年 |
竣工 | 1971年11月25日[1] |
就航 | 1971年 |
運航終了 | 1979年 |
最後 | 1981年1月27日、ジャワ海で火災により沈没 |
要目 | |
総トン数 | 6,135 トン[1] |
垂線間長 | 118.0 m[1] |
幅 | 22.0 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 三菱9MT50C×2基[2] |
出力 | 15,000馬力[2] |
航海速力 | 19.5ノット[1] |
旅客定員 | 719名[1] |
車両搭載数 | 8トントラック120台[1] |
第六セントラルは、セントラルフェリーが運航していたフェリー。後に有村産業でも運航された。
概要
[編集]三菱重工業下関造船所で建造され、1971年11月に神戸 - 川崎航路に就航した。
1972年2月16日、神戸航路、大阪航路が減便により隔日運航となり、本船と第一セントラルによる運航となった[3]。
1972年11月11日、セントラルフェリーの航路休止により運航を終了、日綿実業へ売却され、常石造船で係船された[4]。
その後、有村産業に売却され、えめらるどとなり、三菱重工業下関造船所で改装工事を行った[4]。
有村産業では、RO-RO貨物船として運航され、1979年に引退した。
その後、インドネシアのペルニに売却され、KMP Tampomas IIとして就航したが、1981年1月27日、ジャワ海を航行中、火災により沈没、数百名が死亡した。
設計
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
第一セントラルの同型船であるが、旅客設備を一段と重視した設計となっており、外観も一部異なる[1]。
船内
[編集]船室
[編集]- 特等室
- 一等室
- 二等室
- ドライバー室
設備
[編集]- グリル
- ラウンジ
- バー
- ゲームコーナー