第42親衛自動車化狙撃師団 (ロシア陸軍)
第42親衛自動車化狙撃師団 | |
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創設 | 1940年7月16日 |
所属政体 |
ソビエト連邦 → ロシア |
所属組織 | ロシア陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵科 | 自動車化狙撃兵 |
兵種/任務 | 機甲戦 |
所在地 | チェチェン共和国ハンカラ |
愛称 | イェウパトーリヤ |
上級単位 | 第58親衛諸兵科連合軍 |
戦歴 |
第二次世界大戦 第二次チェチェン紛争 南オセチア紛争 ドンバス戦争 ロシアのウクライナ侵攻 |
指揮官 | ロマン・デムルチエフ大佐 |
第42親衛自動車化狙撃師団(だい42しんえいじどうしゃかそげきしだん、ロシア語: 42-я гвардейская мотострелковая дивизия)は、ロシア陸軍の師団。第58親衛諸兵科連合軍隷下。
概要
[編集]第二次世界大戦
[編集]1940年7月16日、第二次世界大戦の影響に伴い、赤軍の第111狙撃師団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で創設された[1]。
1941年6月から独ソ戦に投入され、7月にイワン・イワノフ師団長が戦死したが枢軸国に勝利し、赤旗勲章、名誉称号「親衛隊」、「イェウパトーリヤ」を授与されて、第24親衛狙撃師団に改称された[1]。
1946年2月、ブリャンスク州に移駐し、部隊縮小に伴い、第3独立親衛狙撃旅団に改編された。
冷戦
[編集]1949年9月、チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国に移駐し、部隊増強に伴い、第24親衛狙撃師団に改編された[2]。
1957年6月、機械化に伴い、第42親衛自動車化狙撃師団に改編された[2]。
1960年10月、訓練部隊化に伴い、第42親衛訓練自動車化狙撃師団に改編された[2]。
1987年9月、訓練施設化に伴い、第173親衛訓練センターに改編され、1992年4月に解隊された[2]。
ロシア陸軍
[編集]2000年1月、第二次チェチェン紛争の影響に伴い、ロシア陸軍の第42親衛自動車化狙撃師団としてチェチェン共和国で再編された。
2000年5月、第70親衛自動車化狙撃連隊が第二次チェチェン紛争に投入された。
2008年8月、南オセチア紛争に投入され、グルジアに勝利した。
2008年12月、部隊縮小に伴い、第18独立親衛自動車化狙撃旅団に改編された。
ドンバス戦争
[編集]2014年8月、ドンバス戦争に投入され、東部ドネツィク州に配備され、ドンバスの親ロシア派分離主義勢力を火力支援した。
2016年12月、部隊増強に伴い、第42親衛自動車化狙撃師団に改編された。
ロシアのウクライナ侵攻
[編集]南部・ヘルソン戦線
[編集]2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻ではクリミア共和国に配備され、第58諸兵科連合軍の隷下部隊として第49諸兵科連合軍、第22軍団、第7親衛空挺師団と合同で攻勢を開始し、3月までに南部ヘルソン州ヘニチェスク、ノヴァ・カホウカ、ヘルソン、スカドフスクを占領した[3][4]。
南部・ザポリージャ戦線
[編集]2022年3月、第136独立親衛自動車化狙撃旅団と合同で攻勢を開始し、南部ザポリージャ州メリトポリ、ヴァシリウカ、トクマク、ポロヒーを占領したが、第291親衛自動車化狙撃連隊のアンドレイ・リスノフ戦車大隊長が戦死してオリヒウで撃退された[5][6]。
2022年4月、第71親衛自動車化狙撃連隊、第291親衛自動車化狙撃連隊が南部ザポリージャ州ポロヒー地区で攻勢を開始したが、フリャイポレで撃退された[7]。
東部・南ドネツク戦線
[編集]2022年3月、東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ地区で攻勢を開始したが、第70親衛自動車化狙撃連隊が大損害を受け、第291親衛自動車化狙撃連隊のドミトリー・オレホフ副連隊長、ディビル・ディビロフ副連隊長が戦死してヴフレダールで撃退された[8][9][10]。
2022年9月、北アフマト連隊が新編された。
南部・ヘルソン戦線
[編集]2022年10月、第50親衛自走砲連隊が南部ヘルソン州ベリスラフ地区に再配置され、ベリスラフ守備隊を火力支援したが、11月中旬にドニエプル川西岸を解放されて撤退した[11][12]。
東部・アウディーイウカ戦線
[編集]2023年1月、東部ドネツィク州ポクロウシク地区に再配置され、第150自動車化狙撃師団、第1軍団隷下の第5独立自動車化狙撃旅団と合同で攻勢を開始したが、第71親衛自動車化狙撃連隊のミハイル・ニキリン連隊長、イワン・モリトビン自動車化狙撃大隊長、ムスタファ・ボコフ自動車化狙撃大隊長が戦死してマリンカで撃退された[13][14][15][16]。
南部・ザポリージャ戦線
[編集]2023年6月上旬、南部ザポリージャ州ポロヒー地区に再配置され、第19自動車化狙撃師団、第4親衛軍事基地と合同で第47独立機械化旅団、第33独立機械化旅団の攻勢を防御してレオパルト23輌を含む戦車30輌以上の大損害を与え撃退した[17][18][19]。6月中旬に第291親衛自動車化狙撃連隊のオレグ・クドリャフツェフ連隊長が戦死し[20]、8月中旬に第1防衛線のロボティネ(トクマク・フロマーダ)を解放されて第2防衛線のベルボベ(ポロヒー・フロマーダ)で防御している[21]。2024年2月には第70親衛自動車化狙撃連隊が反撃を開始してバンザイ突撃で大損害を出したが、弾薬不足のウクライナ軍をロボティネで押し戻した[22]。
東部・バフムート戦線
[編集]2023年12月、北アフマト連隊が激戦地の東部ドネツィク州バフムート地区に再配置され、第2親衛軍団隷下の第88独立自動車化狙撃旅団と合同でクリシチウカ(バフムート・フロマーダ)で攻勢を開始した[23]。
編制
[編集]- 師団司令部(ハンカラ)
- 第70親衛自動車化狙撃連隊
- 第71親衛自動車化狙撃連隊
- 第291親衛自動車化狙撃連隊
- 北アフマト連隊
- 第50親衛自走砲連隊
- 第150独立対戦車砲大隊
- 第245独立防空大隊
- 第417独立偵察大隊
- 第539独立工兵大隊
- 第378独立通信大隊
- 第474独立兵站大隊
- 第106独立衛生大隊
- 電子戦中隊
- NBC防護中隊
- 無人機中隊
第42親衛訓練自動車化狙撃師団編制
[編集]- 師団司令部(グロズヌイ)
- 第70親衛訓練自動車化狙撃連隊
- 第71親衛訓練自動車化狙撃連隊
- 第72親衛訓練自動車化狙撃連隊
- 第392訓練戦車連隊
- 第50親衛訓練砲兵連隊
- 第1203訓練防空連隊
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 第111狙撃師団 ヴォロネジ州立大学公式サイト
- ^ a b c d 第42親衛自動車化狙撃師団 The Luftwaffe, 1933-45
- ^ Russian Offensive Campaign Assessment, February 25, 2022 戦争研究所
- ^ Major General Andrii Sokolov was in charge of the defence of Ukraine's south. An interview covering Chonhar, Kherson and Melitopol ウクラインスカヤ・プラウダ
- ^ Russian Offensive Campaign Assessment, March 8 戦争研究所
- ^ アンドレイ・リスノフ トップ貨物200便
- ^ Ukraine War, 23–24 April 2022 トム・クーパー
- ^ Ukraine War, 9, 10, 11 April 2022 トム・クーパー
- ^ ドミトリー・オレホフ トップ貨物200便
- ^ ディビル・ディビロフ トップ貨物200便
- ^ Российские военные отразили попытку ВСУ прорвать линию обороны под Херсоном イズベスチヤ
- ^ 動画:火囲み歌い踊るヘルソン市民 ウクライナ軍が公開 フランス通信社
- ^ アレクサンドル・スラドコフ従軍記者 Telegram
- ^ ミハイル・ニキリン トップ貨物200便
- ^ イワン・モリトビン トップ貨物200便
- ^ ムスタファ・ボコフ トップ貨物200便
- ^ Протистояння артилерії LB.ua
- ^ ウクライナ集中攻撃を撃退 ロシア部隊司令官「戦車30両以上破壊」 産経ニュース
- ^ ウクライナの反転攻勢、「始まっている」とプーチン氏 成功していないとも主張 CNN
- ^ オレグ・クドリャフツェフ トップ貨物200便
- ^ ロシアと北朝鮮が接近…ウクライナ反攻で進展も 専門家が徹底解説 NHK
- ^ 現代版「バンザイ突撃」繰り返すロシア軍、多大な犠牲出しながらも前進 フォーブス・ジャパン
- ^ Russia's war on Ukraine. 21.12.2023 防衛戦略センター