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筒井順尊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
筒井順尊
時代 室町時代後期
生誕 宝徳3年(1451年
死没 長享3年7月22日1489年8月27日
別名 栄藤、舜覚坊
氏族 筒井氏
父母 父:筒井順永
兄弟 順尊成身院順盛安楽坊順憲
箸尾為国室、遊佐長直
順賢順興
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筒井 順尊(つついじゅんそん)は、室町時代後期の武将大和国国人筒井氏当主。筒井順永の子。栄藤。舜覚坊。

略歴

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当時の大和は畠山義就畠山政長が対立した影響で国人も2派に分かれて抗争していた。筒井氏は政長派に属し、応仁の乱では順尊は父・順永と共に義就派の越智家栄古市澄胤と大和で戦った。

しかし、文明8年(1476年)に父が死去、翌年9月に畠山義就が河内国に下向して政長派を撃滅・制圧すると越智家栄らも勢いづいて順尊・箸尾為国らを大和から追放、河内と大和は義就の手に入った(正式な守護は政長と興福寺だが、義就が実力で取得した)。結果、順尊ら政長派は流浪の身となった。後に十市遠清遠相父子も大和から脱出した。

その後は大和で度々ゲリラを仕掛けるがその度に敗北、復帰を果たせぬまま長享3年(1489年)7月22日、京都で死去。享年39。

外部リンク

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