筧正則
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 大永6年(1526年) |
死没 | 永禄3年5月19日(1560年6月22日)[1] |
別名 | 又蔵、清左衛門[1] |
戒名 | 円通[1] |
主君 | 松平清康、広忠、徳川家康 |
氏族 | 藤原姓筧氏[1] |
父母 | 筧正治[2] |
兄弟 | 重忠、正重、正則[2] |
妻 | 大久保忠俊の娘[1] |
子 | 正康[1] |
筧 正則(かけい まさしげ)は、戦国時代の三河国の武将。松平氏の家臣。
経歴
[編集]松平氏に仕えた筧正治の子で、正則も兄らとともに岡崎城主松平清康、広忠、元康の三代に仕える[2]。永禄3年(1560年)桶狭間の戦いでは兄の重忠・正重、甥の重成らとともに丸根砦攻撃に加わるが、松平正親・松平重利・高力正重らとともに戦死した[3][1]。子の正康は水戸藩士となった[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 岡崎市役所 編『岡崎市史』 別巻上巻、名著出版、1972年。
- 『新訂寛政重修諸家譜』 17巻、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0221-5。