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築土神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
築土神社

拝殿
所在地 東京都千代田区九段北1-14-21
位置 北緯35度41分46秒 東経139度45分0秒 / 北緯35.69611度 東経139.75000度 / 35.69611; 139.75000座標: 北緯35度41分46秒 東経139度45分0秒 / 北緯35.69611度 東経139.75000度 / 35.69611; 139.75000
主祭神 天津彦火邇々杵尊平将門[1]
社格村社
創建 940年[1]
別名 築土明神
例祭 9月15日[1]
地図
築土神社の位置(東京都区部内)
築土神社
築土神社
地図
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築土神社(つくどじんじゃ)は、東京都千代田区九段にある神社である。通称、築土明神

創建時の祭神・平将門に因み、武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館氏神でもある。

毎年正月に授与される勝守(かちまもり)は有名。

祭神

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現在は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神とし、平将門、菅原道真を配祀する。

江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となっている。

戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶[注釈 1]、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみである。

拝殿の装飾や絵馬などには、巴紋のほか平将門に因んだ繋ぎ馬(つなぎうま)の紋が使用されている。これは神社境内にある天水桶文政元年)の彫刻を模したもので、築土神社の登録商標である(平成23年現在)。

歴史

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祭事・年中行事

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  • 9月15日の例大祭に至る一週間の行事を「築土祭」と呼び、節目の年には神輿渡御などが行われる。

氏子地域

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文化財

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狛犬(筑土神社)
千代田区指定文化財有形民俗文化財[4]
力石(筑土神社)
千代田区指定文化財有形民俗文化財[4]

所在地・交通

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東京都千代田区九段北1-14-21

ギャラリー

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脚注

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注釈

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  1. ^ 御神体の「首桶」なるものは、『東京市史稿』市街篇第2巻186頁に写真が残されている。蓋上面に「江戸/上平川」、側面に「江戸郷/上平河村」と墨書されており、何らかの神宝を納めるために作られた中世の曲物(まげもの)であったようである。
  2. ^ 『江戸名所図会』では天正7年(1580年)[3]
  3. ^ 築土神社は、1945年(昭和20年)まで、氏子地域から離れた新宿区筑土八幡町にあり、筑土八幡神社と並んで鎮座していた。この一帯は筑土八幡神社の氏子地域である。市谷船河原町の外堀通りからアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)への入口にある摂社は、古代の「さねかずら」という美女にまつわる「掘兼の井」の故地であるとする伝承がある。『江戸名所記』所収「掘兼の井」の記述はここをさすと見られる。当町にはかつて氏子総代をつとめた旧家があり、平安時代に京都でさらされていた平将門の首級を密かに奪い取って持ち帰った者の子孫であったと言い伝えられていたという。

出典

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参考文献

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  • 斎藤長秋 編「巻之四 天権之部 津久戸明神社/筑土八幡宮」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、517-521頁。NDLJP:1174144/263 

関連項目

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外部リンク

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