籠手田安経
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籠手田 安経(こてだ やすつね、天文元年(1532年) - 天正9年)(1581年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は籠手田安昌。子に安一。日本に於けるキリシタンの礎と仰がれた[1]。洗礼名ドン・アントニオ。
当主・松浦隆信に次ぐ有力者として、隆信を補佐した。松浦氏本家との争いや波多氏との戦いでは、当主に代わって総大将となって出陣するなどして活躍している。父と共に洗礼を受けキリシタンになった。
脚注
[編集]- ^ 河野哲夫「平戸におけるキリシタンの伝導と外国貿易の変遷について」『たびら史談』第5号、田平史談会、1988年3月31日、16頁。