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米倉昌照

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
米倉昌照
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 天和3年(1683年
死没 正徳2年5月23日1712年6月26日
改名 宮内(幼名)、昌照
別名 忠左衛門(通称)
戒名 特峯院殿大機宗俊大居士
墓所 大阪府大阪市天王寺区六万体町の鳳林寺
官位 従五位下丹後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣
下野皆川藩
氏族 米倉氏
父母 米倉昌明須田為景
兄弟 昌照昌行武田信常室、小堀政房正室ら
石川憲之
忠仰
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米倉 昌照(よねくら まさてる)は、江戸時代前期から中期にかけての大名下野国皆川藩3代藩主。六浦藩米倉家3代。官位従五位下丹後守

生涯

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天和3年(1683年)、2代藩主・米倉昌明の次男として誕生[1]。正室は石川憲之の娘。

元禄5年(1692年)11月1日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁し、元禄15年(1702年)の父の死去により跡を継ぐ。宝永6年(1709年)9月1日に叙任し、正徳元年(1711年)に大坂城守衛となるが、翌正徳2年(1712年)5月23日、大坂で死去。享年30。

跡を養子・忠仰柳沢吉保の六男)が継いだ。

系譜

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父母

正室

養子

脚注

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  1. ^ 昌照の生年は天和3年(1683年)と言われているが、もしそうだとすると、父親の昌明が11歳(しかも数え年)で生まれた息子であるということになる。しかも次男である。このため、昌照の生年はかなり疑わしく、もっと年齢を繰り下げる必要があるとも思われる。一説には昌明の父・昌尹の子ではないかともされている。