米倉昌照
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 天和3年(1683年) |
死没 | 正徳2年5月23日(1712年6月26日) |
改名 | 宮内(幼名)、昌照 |
別名 | 忠左衛門(通称) |
戒名 | 特峯院殿大機宗俊大居士 |
墓所 | 大阪府大阪市天王寺区六万体町の鳳林寺 |
官位 | 従五位下丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉、家宣 |
藩 | 下野皆川藩主 |
氏族 | 米倉氏 |
父母 | 米倉昌明、須田為景娘 |
兄弟 | 昌照、昌行、武田信常室、小堀政房正室ら |
妻 | 石川憲之娘 |
子 | 忠仰 |
米倉 昌照(よねくら まさてる)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。下野国皆川藩3代藩主。六浦藩米倉家3代。官位は従五位下・丹後守。
生涯
[編集]天和3年(1683年)、2代藩主・米倉昌明の次男として誕生[1]。正室は石川憲之の娘。
元禄5年(1692年)11月1日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁し、元禄15年(1702年)の父の死去により跡を継ぐ。宝永6年(1709年)9月1日に叙任し、正徳元年(1711年)に大坂城守衛となるが、翌正徳2年(1712年)5月23日、大坂で死去。享年30。
系譜
[編集]父母
正室
- 石川憲之の娘
養子